稽古日誌(1227日)

         『だけど・・・』

今日も前回から始まった新しいプログラム続きです。今回は『だから・・』に加え『だけど・・』もカラーボールを使って勉強しました。
前方に5つのカゴを用意し、カゴは赤・青・白・緑・黄の5色に色分けしました。そしてホワイトボードに次のような課題を書きました。

(1)赤!・・だけど、今日は緑のカゴへ・・・・・・入れました。

(2)青!・・だけど、今日は黄色のカゴへ・・・・・入れました。

(3)白!・・だから、今日も白のカゴへ・・・・・・入れました。

(4)緑!・・だけど、今日は青のカゴへ・・・・・・入れました。

(5)黄!・・だけど、今日は赤のカゴへ・・・・・・入れました。

稽古はこの文章の実践です。

1、最初に指導員が任意に選んだカラーボールを1名の団員に投げ渡します。(この時、受け取った団員が取った瞬間に色を発声するように指導しますが、発声が遅い場合は指導員が一緒に発声しても結構です。しかし、団員が受け取った瞬間にボールを投げた指導員が色を発声すること、即ち『相手の手の上に発声する』ことは想像以上に難しく、プロの役者としての訓練が必要です)

2、赤!・・色をしっかり認識します。

3、・・『だけど、今日は緑のカゴへ』ここまで考えながら発声します。

4、・・・実際に緑のカゴへ走って行き、赤のボールを入れて戻ってき
ます。

5、『入れました』と指導員に確認の報告をします。

この訓練を行動として分析すれば、下記の通りになります。

『色(情報)の認識』→『行動の企画』→『行動の実行』→『行動の確認』

一般的に彼等は『行動の実行』が一番強く、行動の前提となる『認識』や、行動の『企画性』、行動調整機能を含む『行動の確認』が疎かになっています。

演劇は「演ずる人物の人格を表現すること」とすれば、団員たる者『自らの思考に基づく自立的、自己統制的な力』を有する人間形成を目指さなくてはなりません。そのために必要な訓練となっています。

訓練の結果は非常に良好で、全員が意識としてしっかりした『素早い行動』となりました。(自閉症圏内の人はカゴの場所で覚えてしまう傾向があるので、頻繁にカゴの場所を変える必要がありますが)

因みに『・・だから』『・・だけど』のような論理的な思考方法を彼等に与えることは彼等自身に『自由な思考』を生ませるようで、下記のような応用問題でも良好な結果を得ることが出来ました。

1+2は3です。『だから・・、232,571+2は?・・』『232,573!』

知的障害者の多くに「数字の弱い人」がいますが、数字が弱ければ論理的な国語として思考する解決方法もあるのではないかと私は考えています。実際に劇団さくらの団員ではありませんが、数字のLDらしき人に対して「数字を発声して」「自分の声を聞いて」数字の順列を認識する方法で好結果を得ています。

今年も試行錯誤の連続になりそうです。

しかし、何事も実践することで彼等が答えを出して教えてくれます。

短絡的に『障害者だから・・』と諦めることではなく『障害者だからこそ可能性がある』と果敢に挑戦することが大事だと私達は考えています。

多くの仲間が増えることを今年も願っています。

本年も宜しくお願いします!

                 指導総括    石

稽古日誌(1213日)付録

       『しっかりすること・・番外編』

『何ですか? はっきり言って下さい!』『そんなのは理由になりません!』

時々聞こえてくるリーダー弥惣兵衛の声です。劇団さくらでは稽古に遅刻した者や前回欠席した者は、稽古前にリーダーにその理由を申告しなければならないことになっています。

この会話はリーダーデスクに座った弥惣兵衛が、出席簿に遅刻理由や欠席理由を記入するための聴き取りの風景ですが、その場には指導スタッフの姿はありません。リーダーと団員だけで行っている出欠取りですが、最近は驚くことに遅刻した者が並んで申告の順番を待っています。指導スタッフが指示したことではないのに実に『しっかりした行動』です。
劇団さくらの団員組織である班長とリーダーの権限は非常に大きなものです。

サブ班長は班長の助手的な仕事が主で、班長が随意に任命しますが)

団員たちは稽古場に入ると自分の準備だけでなく、稽古道具の搬入と稽古場のセッティングに忙しく動きます。もちろん事前に夫々の持ち場は決められているのですが、困るのは欠席や遅刻者がいる場合です。

劇団さくらの指導スタッフはこんな場合でも余分な口出しをしません。定刻までに稽古場に入らない者は欠席者として夫々の班長がホワイトボードに欠席者の名前を書き出します。そして同時にリーダーは指導スタッフに指示されることなく搬入担当者の変更を即時に決定し、団員に言い渡します。

やがて稽古場のセッティングが終わるとリーダーが欠席者と遅刻者、そして聴き取りをした理由を団長と私に報告して稽古開始の挨拶をします。

『よろしくお願いします!』

稽古が開始されてもリーダーや班長にのんびりする暇はありません。休憩時間の設定はリーダーの仕事です。稽古時間全体のことを考えて弥惣兵衛は設定していますが、今まで私が休憩時間の変更を要求したことは一度もありません。『実にしっかり』しています。

昼食後の昼休みものんびりしている団員は一人もいません。宿題をホワイトボードに書く者、それを写す者、宿題の答え合わせをする者・・・・・。

リーダーは団員全員を『引っ張って行く人』のこと。班長は『常に他の団員の見本になる人』のこと。これが劇団さくらのリーダーと班長に求められていることですが、私達は考えます『彼等は求めれば必ず答えてくれる』と・・。

現在、劇団さくらの団員達の意識レベルは相当高いと思われますが、最初から『しっかりしている人』は一人もいませんでした。全員が一段ずつ『小さいステップ』を上ってきたのです。もちろん新入団の人のステップは他の団員よりかなり低いステップですが、確実に上っています。それも先輩方よりかなり早いスピードで!

知的障害者の人達の置かれている現状は、今でも厳しいと思います。たとえ仕事が得られても毎日が同じ仕事の繰り返し、「能力が低いから」と言われてしまえばそれまでですが、毎日同じ繰り返しで能力が伸びることなど考えられません。うっかりすれば元々持っていた能力まで落としてしまうかも知れません。

彼等の場合、毎日勉強をしながら仕事を続けられるのが理想ですが、それが無理ならせめて週に一度は勉学に励んで欲しいと思います。

劇団さくらはそんな人達の集まりですが、仕事を持っていても週に一度集まって真剣に勉強している姿は『実にしっかり』しています。

知的障害者の殆どは「知的発達が遅れている人」や「情緒発達が遅れている人」です。高度の演劇を学びながらそれに必要な勉学に励んでいる団員達の進歩は心底『凄い!』と思います。これからは一人でも多くの『しっかりした障害者』の仲間を増やしていきたいと思います。

多くの人の参加を望んでいます。是非ご参加下さい。

                   指導総括   石

稽古日誌(1213日)

         『しっかりすること』

 最近、劇団さくらの人達は「しっかりしている」と、周囲の方々からよく言われるようになりました。稽古をしている時、稽古場に入る時、休憩の時、挨拶する時、注意を聞く時、どのような場面であっても外部の方々から劇団さくらの団員達をそのように評価して頂けることは、私達にとっても最上の喜びです。

(もちろん演劇とは本来の「自分とは異なる人物の人格を演じる」ことですから「演じる人間」つまり劇団員たちの『人格形成』は、劇団さくらの最大目標となっていますが・・)

今日のテーマは『しっかりすること』で稽古を行いました。

さて、私達はいろいろな場面で「しっかり」という言葉を使っています。しかし、その意味内容となると少なからず曖昧です。辞書によれば「堅固で揺るぎないさま」「気持ち、性質、行為などが堅実・確実で信用できるさま」「気持ちが確かであるさま」とありますが、ここでも客観的な評価として使われていて主観的にどのような気持ちであるのか釈然としません。

では、『しっかりする』とは主観的にどのような状態なのでしょうか?
ここに『現存在』について記載した一つの文章があります。それによると、しっかりしている人のことを『両足をしっかり地面の上に踏みしめている人は、彼が【誰であるのか】、彼が【どこいるのか】、彼が【どこに行くか】ということを知っている』と分析しています。

今日の稽古場は少し狭いせいか多くの団員が最初の「歩行」で既に緩慢な感じがしていました。つまり『しっかりしていない』状態です。

そこで団員を一列に並べ、その前に班長と班長の前にリーダーを置いて「その場歩き(足踏みですね)」を夏川の指導で行いました。「右!」「左!」と交互に足を上げる稽古ですが、大体全員が『しっかり』上がるようになってからテンポ音に合わせての「その場歩き」に移りました。そして次はリーダーが全体を見ての「その場歩き」です。団員は班長を、班長はリーダーを見ての「その場歩き」ですが、このような場合、さくらの稽古場では足の上がりが不足だったり、足並みが揃っていないなどの団員がいると、リーダーは直接団員に注意することなく、必ず班長に注意します。すると注意された班長は指摘された団員の指導を行いますが、この方法で団員達は『ここは稽古場であること』『今、稽古の最中であること』『団員は稽古を行うためにはそれぞれ義務があること』などを自覚します。

今日もこの方法で全員が『しっかりした』歩行になりましたが、ここで忘れてはいけないことは『価値観を持たせる』ことです。つまり、班の評価が班長の成績であり、全体の評価はリーダーの成績であること、リーダーや班長は他の団員の「お手本」になれるからリーダーであり班長なのだということを繰り返し説明して理解させることです。

こんな実験をしました。

ホワイトボードに「弥惣兵衛班」「代官班」「松吉班」という3つの班を書き、その下に他の団員全員に自分の名前を書かせてみました。

結果は、最初に書いた団員が本名を書いてしまったことから殆どの団員が本名を書いてしまいましたが、全員が自分の班を自覚していて間違った団員は一人も居ませんでした。そして全員が書き終わった所でリーダーに確認させると、驚いたことにリーダーの弥惣兵衛は本名が書かれた文字全てに×を入れ、間違った人全員に書き直させました。

その後、演技者として『しっかりする』ための訓練が各種続き、毎回最終的には全員が『しっかりした演技者としての姿勢』になるのですが、劇団さくらで最も重要なことは、団員に対して『この訓練や稽古が何のためなのか?』という問いかけを常に行っていることです。『お客様に楽しんで頂く』『お客様に歓んで頂く』『お客様の評価を頂く』等々、前記の『誰であるか(演技者)』『どこにいるのか(劇団)』の確実な自覚と併せて、彼等が少しでも『社会のお役に立てること』『自分のことより他人のことを考えられること』などが出来る人になった時、初めて『しっかりした人』として社会から正当に評価されると私達は確信しています。

稽古日誌(1122日)

           『教えること』

 朝は?・・『おはよう』 敬語は?・・『ございます』 お早う御座居ます。・・何を?・・『衣裳カゴを』何しに?・・『取りに』 どうした?・・『来ました』 はい!
これは、道具の搬送車から劇団員たちが道具を稽古場に搬入する際に、毎回繰り返される問答の稽古風景です。

劇団さくらの団員たちは、全員が入団時から道具を持つことや運ぶこと、また『おはようございます』や『ありがとうございました』などの挨拶は出来ていました。しかし、何を?何をしに?何をした?というような目的をしっかり伝えることや、意味をしっかり伝える挨拶などは殆ど不可能でした。しかし、劇団さくらは一般社会人の方々に観て頂くための劇団ですから観て頂く人達に分からない台詞では困ります。また、当然プロの技術スタッフも公演では参加しますので、スタッフに自分の行動や意志がきちんと伝えられなくても困ります。

従って劇団員になった彼等に対しての教育、つまり『教える』ことが必要になるのですが、では『教える』とは具体的にどのようなものなのでしょうか?

今日は『教える』がテーマの稽古になりました。

現在、劇団さくらでは団員の中に1名のリーダーと3名の班長(1名は兼務)が組織され、3名の班長の下にはそれぞれサブ班長(班長補佐)と一般団員がいます。(サブ班長は班長の指名で自由に指名ができます)当然、基礎訓練では班長が自分の班を管理しますので、班長が自分の班の団員を『教える』ことが多くなりますが、今日の基礎訓練は『教える人のための基礎訓練』です。

各班ともライン上で横一列に並び、団員にはカラーボールを持たせます。そして、リズム音を流し、リズムに合わせて列に向い合った班長にカラーボールを返す訓練です。通常は班長が団員にカラーボールを投げて受け取らせるのですが、今日は反対に団員全員がカラーボールを持っています。当然のことですが、全員が同時に班長にカラーボールを投げたらいくら班長でも全部は受け取れません。従って班長は何らかのサインを事前に班員に対して出さなくてはなりません。それが『アイ・コンタクト』です。

面白いもので『教える立場の人』はどんな人でも同じ心理になるのでしょうか、何故か全員が端から順番に教えようとします。しかし、これだと反対の端の人は『当分お休み』と思い、終った者は『終ったからお休み』と思うのか、全体を見ると『お休み』だらけの団体になってしまい、テンポもだらだらして訓練にはほど遠いものに見えてしまいます。

私がそれを班長に指摘して『○○が休んでるよ!』『○○もお休み!』と叫ぶと、班長は懸命に走り出しました。テンポ音が流れていますので、テンポ内に移動しなければならないので班長は大変ですが、それ以上に『受け取ったカラーボールを返す時に次の人を見る、つまり『次のアイ・コンタクト』を取らなければなりませんので『失敗した!』などと余分なことを考える暇はありません。

かなり班長に疲れが見えた時、リーダー(班長兼務)を残して2名の班長を休ませ指導スタッフがそれに代わりました。そして稽古再開。

途中、2名のスタッフが入った班は懸命さだけが目立つようになり、リーダーの班だけが整然と見えるようになった所で突然止めました。そしてリーダーの班の中の1名を指名して、この団員が一人で行わなければならないシーンを突然開始しました。

シーンは幻想的なシーンで、心情を歌った一曲の間にドライアイスをまかれた舞台を補佐する侍女を従えて歩くシーンなのですが、物語の中でとても重要なシーンです。しかし、今まで演出された通りにきちんと歩けたことは一度もありません。ドライアイスのせいかも知れませんが、稽古ではどうしても補佐役の指導員の方に身体が傾いて方向を失ってしまうのです。

しかし!しかしです。今日は『自らの思考で完全に』歩けたのです。今までこの団員については能力的に問題があるという人もいました。しかし、稽古場に通う姿を見ても何も問題はありません。自分がどのような役であるかも理解しています。では何故今まで出来なかったのでしょう?

結論としては指導に問題があったのですが、その前に「何故リーダーの班が整然と見えた」のでしょう?そして何故この団員が良くなったのでしょうか?

これは、あくまでも推論ですが『動機の問題』だと思います。

スキルとして考えれば、勿論この訓練での班長の仕事は『教える』ことです。

しかし、この『教える』というスキルの中には『正しいことを』という内容が含まれていなければ形だけのスキルになってしまいます。また、指導する側に『覚えてくれ』という別の動機が入ってしまえば『覚えてくれ』ということを指導するスキルになってしまいます。

リーダーの班が整然と見えたのは、リーダーが私に指定された通りに『正しいことをひたすら行った』ことにあります。従ってリーダーの班の団員は今まで出来なかったことが出来た、つまり前記の団員は、正しいことは知っていたが、今まで『正しいことをやることが分からなかった』ということになり、この団員の能力に何も問題がないことが分かります。

劇団さくらのリーダー、班長、サブ班長の仕事は『権力や特権』ではありません。あくまでも『正しいことをやること』が仕事です。

指導を行う際に『余分な動機』が入ってしまうのは指導スタッフも同じです。

私達は純粋に正しいことだけを指導すれば、彼等は必ず『自ら獲得してくれる』と信じています。指導スタッフは自ら反省の一日でした。

                  指導総括    石

稽古日誌(1115日)

          『スキルを正す』

今日も午後からの稽古でした。さあ、大変です!

最近は何故か午後からの稽古となると調子が上がりません。つまり全員が何となくぼんやりしていて活気がない感じなのです。稽古場の仕込みも作業としては普通に行っているのですが、中身がなく指導者の指示待ちのように見えます。

そこで試みに、通常は指導スタッフ1名が付いて行っているバミリ貼り(稽古場の立ち位置を書き込んだ舞台の横幅いっぱいの長いテープ。9本あります)を班長2名だけでやらせてみました。

この作業は指導スタッフ1名が付いて行っても25分はかかる作業です。しかしそれでは稽古時間に支障がでるので作業時間の目標を15分にしている作業ですが、団員2名が作業内容を完全に理解して指示なしに行えれば可能な時間です。

結果は決して良いものではなく、「貼る」という作業は完璧に出来ているのですが、「長さを合わせる」「位置を合わせる」という一番大切な作業が抜けてしまいました。

このような場合、劇団さくらでは多くは直接指導を行った指導員が叱責を受けることになります。つまり「指導スタッフが作業内容をしっかり教えなかった」ということで、演劇ではいくら指導しても「演じる人が自ら行える」ことが出来なければ意味を成さないからですが、同時に人格の定義として『自らの思考に基づく自立的、自己統制的な力を持ち、現在から将来まで見通せる力を満たした人間形成』を劇団さくらでは目指しているためです。この場合は『指導スタッフが自分の作業を団員に手伝わせた』という評価になってしまいます。

当然、指導スタッフが加わって「バミリ貼り」の作業は最初からやり直しになりましたが、この『作業を彼等に手伝わせる』というよく見られるスキルの風潮には大きな問題を含んでいます。

一般的に、勉強でも仕事でもイベントでも、それがたとえ彼等のためのものであっても彼等自身で実施することは大変困難です。ならば企画や仕込みなど、彼等が困難な部分は周囲のスタッフが行って、彼等が出来ることは彼等自身で考えながら行えば良いのですが、現実は何処でも『彼等が手伝う』形式で行っているのではないでしょうか?

その結果として、彼等は『考えずに様子見をする』ようになり(つまり、視覚による情報収集に偏ること)思考より行動が優先する『お節介』が強くなるようです。
秋は「彼等を楽しませる」イベントが多くなりますが、知的障害者も社会の一員であり、知的障害者を理解して頂くイベントであるとするならば本来は逆で、「障害者が一般社会人を楽しませる」イベントであるべきだと私達は考えていますが、間違っているでしょうか?

劇団さくらでは団員全員に宿題を課していますが、自分に出された宿題を『親が必ず手伝っている団員』の勉学意識は非常に高くなっています。しかし、逆に『親が見ているとやらない団員』や『親が手伝うのを嫌う団員』は内容よりスキルに走りやすい欠点を持っています。そう言えば、このタイプの団員の中にはイベントが多くなると宿題を忘れる団員もいますね。劇団では義務違反で、リーダーから注意を受けます。

知的障害者と健常者の関係は、障害を持っているので『出来ないから手伝わせる』ではなく、『出来ないから手伝う』という当たり前の関係でありたいと、私達は考えています。              指導総括    石

稽古日誌(11月8日)

         『隙間からカラーボール』

昨日に続いて連続の稽古日でしたが、今日は午後からの稽古でした。

秋はイベントが多く、昨日の稽古を欠席した団員が出席していて最初は団員間の意識のズレが相当感じられました。(午後からの稽古ということも、その一因となっていますが)

そこで今日の稽古の最初のテーマは『班長の役目』です。

劇団さくらでは現在団員は3つの班に分かれ、それぞれに班長(1人はリーダーが兼務)がいますが、班長の仕事は自分の班を纏めることです。

班長は自分の班を管理するためにサブ班長を任命する権利も持っています。そして時には指導者の命令で自分の班の指導も手伝いますが、彼等特有の「お節介」に走ると途端に班長の減点が起こります。

例えば、指導者から『各班に分かれて歩行訓練!』と命令が下されると、いち早く自分の班を整列させて「歩行」を開始しますが、うっかり班長が自分の班の団員に「お節介を焼いている」と当然「歩行の開始」が遅れます。この場合は「他の班に遅れた」責任が班長に問われます。従って、班長は『自分の班の模範になる』ことが最も大切な仕事になります。そして自分の班の評価が班長の成績だと指導し、現在は彼等もこのことを価値観として理解しています。

この訓練を行った後でも今日は団員達に「何となく意識の低下」が感じられたので、次は「動機の活性」を求めた訓練を行いました。

幸い(?)今日は稽古場の中央を仕切るパーテーションが故障していて稽古場の3分の1程がパーテーションで塞がれていましたので、ホワイトボードを運び、パーテーションとの間隔を90センチ程開けて並べました。

団員たちはこの隙間から5メートル程離れて順番に並び、指導員がホワイトボードとパーテーションに隠れて投げるカラーボールの色を答える訓練です。

さすがに隙間が90センチもあることからか、団員達は何の問題もなく次々に正解を答えていましたので、次は徐々にこの隙間を狭めてみました。90センチ・・70センチ・・50センチ・・30センチ・・20センチと進み、最後は7〜8センチの間隔に狭めてみましたが、団員たちはますますしっかりと答えました。

この訓練では幾つかの周囲が驚く結果を得ることが出来ました。

その1は、『間隔が狭くなるほど答えるテンポが良くなる』こと。

そしてその2は、『間隔が狭くなるほど答える発声が良くなる』ことです。

何故このように、認識した結果として出てくる答えのテンポが良くなったり発声が良くなったりするのでしょうか?最後の「隙間7〜8センチ」で投げられたボールの色を認識する時間はほんの瞬間しかありません。

答えは『動機』にありますが、そのヒントになる文章が江戸元禄期に書かれた『役者論語』に書かれています。

初世、坂田藤十郎に周囲の役者が「何故貴方はそのように初日から1020日も演じた芝居のように自然な演技ができるのですか?」と聞いた時、それに答えた言葉の中に『かねて台詞にたくみなし』(たくみ・・巧み、企てるの意)
『相手の言う言葉を聞き、此方(自分)初めて返答心にうかむ(浮かぶ)』とあります。

『動機』とは殆ど同時に何通りも起こるのが普通です。従って、ボールを見る時間が長ければ「どう答えようか?」とか「○○色じゃ、なかったかな?」とか「ちゃんと答えなければいけない!」というように余分な『動機』が走ってしまいますが、ボールを見る時間が短ければそれだけ『余分な動機』が入る余地がないということになります。

健常人であっても「余分なこと」を行って周囲を困らせる人は多いものですが、近年の日本のテレビドラマや映画、ミュージカルの舞台までもが『写実』という「自然な演技」を勘違いしている演技者が実に多くなりました。

演劇だけではありません。テレビのナレーターや声優までもが『老人には聞き取れないような無気力な語り』や『子供が喜びそうな現実離れをした語り』で自然だと思っているようですが、これらは皆、実際とはかけ離れた余分な考え、つまり『本質とはかけ離れた動機』による演技と言わざるを得ません。

演劇とは本来の自分とは異なる人間(役)の人格を演じることですから、これからも劇団さくらの団員達は『自然な動機』を求める勉強が続きます。

                 指導総括    石

稽古日誌(11月7日)

           『親子学習』

 今日は2ヶ月に一回の父兄参観日です。和やかな稽古日になりました。

本来は「父兄参観」なのですが、黒部団長の方針で現在は団長も父兄も見学者が居れば見学者も参加する『合同稽古』になっています。

最初の稽古は班に分かれての「歩行訓練」です。通常は3班に分かれるのですが、今日は父兄が参加した「親子組」と、リーダーの弥惣兵衛を班長とした「団員組」の2班に分かれての訓練にしました。

最初の歩行訓練では「親子組」の父兄はそれぞれ「我が子」の後ろを歩きましたが、これは何も問題なく奇麗な歩行になりましたので次のプログラムに進みました。

次は親が先頭で子が最後尾になり、稽古場に書かれているバミリの番号とAFのラインを組み合わせて『指示通り正しく歩く』訓練に入りました。

この訓練では、親が『最後尾の子にしっかりした発声で指示をする』必要があります。(最後尾の子にしっかり指示が通ると途中のメンバーもしっかりした歩行になります)

この訓練はどの親子もしっかり出来ましたので、次の難問に進みました。

次は「子を先頭に、親が最後尾で進路を指示する」訓練ですが、段々難しくなってきました。つまり、間に何人ものメンバーが入っているために「親の指示が遅れる」現象が目立つようになりました。

普段はこれだけ離れた位置から親が子に指示を出す事はないのかも知れません。

また、健常者同士なら指示がギリギリでも判断して行動出来るでしょう。しかし、彼等の場合は『耳で聞く→理解する→行動する』というプログラムの形成スピードに学習として個人差があり、親は常に我が子の成長を認識する必要があるようです。

次はもっと大変です。子が先頭になり、親が最後尾で『我が子に指示する』訓練ですが、これはもう大混乱です。

『親の指示が我が子には遅いこと』『親の指示をしっかり認識しない』『つい親任せになって判断→行動が止まってしまう』など、原因は多数考えられますが、大停滞してしまって『早く行ってくれ〜!!』と親の悲痛な叫びとなりました。

不思議です。団員だけの通常の稽古ではこんな混乱は起こりません。

次の訓練は、「先方に置かれた3つのカゴの中から親が任意に1つずつ取ってきたカラーボールを子が元のカゴに返す」訓練です。

3組の親子が同時に始めるのですが、ここでも団員同士で行う時より成績が悪く、子は夢中で返しに行くのですが、カゴに何色を入れるかで混乱しています。

劇団さくらでは『間違いは×ではない。間違いが分かって正しく直せれば○』としていますので、親は子を連れて正しい場所を教えるのですが、何度やってみても間違います。

不思議です。団員だけの通常の稽古ではこんな混乱は起こりません。

そこで、ある団員に「親がカゴからカラーボールを取る所だけ見させて、それ以外は目を塞いでみる」と、見事に正解しました。

このことから想像ですが、親と行った場合は「正しく返す」ことより、『早くカゴに返す』ことの方が優先する、つまり『スキルが優先』する現象ではないかと思われます。

最後は「任意に10人の団員を2つのグループに分ける」問題と「任意に10人の団員を3つのグループに分ける」問題です。つまり、AB10ABC=10という問題です。

2つのグループに分ける問題では9人と9人に分けました。(A9B=9)

これで実際に団員を並べてみます。するとAは9人並べたのですが、Bにはもう誰もいません。この団員は長い時間考えた末に自分がいることに気が付きました。そしてBは1だと正解を出しました。

2番目の問題で指名された団員は、最初A11B12C13、と答えを書きました。これを見ていた父兄は『あ〜あ、最初から足りないじゃない、どうする気なんだろう?』と嘆いていましたが、解答になって10人の団員を並べる時、この団員はA11で『こりゃあ、まずいな・・』とつぶやいてAを4に直し、4人を並べました。そして残りの団員を見てB12を『これも駄目だ』と言い、Bを3に変え、3人並べました。そしてまた残りの人数を見てC13を2に直しましたが、最後に言った言葉が素晴らしく、『4の所に自分が入るから4の所は5だ』と言いました。団員と父兄から歓声が上がりました。

リーダーには別の問題で最初から人数の足りなくなる問題を出してみましたがここではリーダーは父兄から『人数を借りて来る』という絶妙な回答をしました。リーダーはまた一つ『問題解決する力』が増したようです。

その後、父兄も参加して台詞のグループに分かれ、夫々に指導員が付き添って父兄も台詞を稽古してもらいましたが、広い稽古場いっぱいに広がっての稽古は壮観でした。今日は全員が『考える、工夫する力』が増した稽古になったようです。

午前10時から午後5時まで、父兄にとっては体力の限界を超えた稽古でしたが、『知的障害者であっても安易に諦めることなく、個人の長所短所を知り、どうしたら一般社会人と一緒に歩んでいけるか』を真剣に考え、彼等から学ぶ稽古は『我が子の再発見』かも知れません。親子が満足した顔で帰る姿に感銘を受けました。

この参加型の参観日は2ヶ月に1度行っていますので、HPで予定をご覧になって是非一度親子でご参加下さい。

健常の方も歓迎します。お申し込みは団長まで。

                       指導総括    石

稽古日誌(1025日)

          『リレー・繋ぐこと』

 通常、劇団さくらの稽古は午前10時開始で劇団員たちは9時45分までに稽古場に入りますが、今日の稽古は午後1開始でした。

稀に起こることですが、午後からの稽古となると何となく調子が上がらないことがあります。全員の調和が取れないという感じなのですが、今日はそんな日です。そこで急遽、今日は意識のリレーを中心に稽古をすることにしました。

通常通り歩行訓練が終った後、下手に3つのカゴを置き、その中には無作為に5色のボールを多数入れました。そして上手出待ちに班長を先頭にして3つの班を並ばせました。(並び順は班長の判断で決めることが出来ます)
この訓練のルールは先の者が3つのカゴから自由に取ってきたボールを次の者が正確に返してくる訓練です。そして3つの班の班長が最初にボールを取りに行き、班長が信頼する次の者にボールを渡して返してくることを命じます。
(過去に同じ訓練をしていますが、その時は指導者が団員個々に取りに行くことも返すことも命じていますので、今回の訓練の方が自主性という意味では数段難しい訓練になっています)

結果的には評価は良くも悪くも半ばであり、まだまだ未成熟の訓練でしたが、特徴として3つの班が同時に走るので情報が混乱し、他人の班に視線が走ってしまう「お節介型」が多く見られ、彼等に対する教育のあり方が問われる結果が見られました。

しかし、命じる者も報告する者も内容をしっかり伝えることが出来るようになっていることや、ボールを返すカゴを間違えた者に「班長がカゴの所まで一緒に行って間違いを確認させる」ことなど、日頃の訓練の成果も現れていました。

次の訓練は各班とも団員が3〜4m間隔でジグザグに向かい合い、テンポに合わせてボールを渡して行くボールのリレーを行いました。

実際には彼等の場合、テンポに合わせて次の人にボールを投げる(下から)だけでも難しいのですが、さくらは劇団なのでもっと難しく相手の手の上にカウントが立たなければ正解になりません。(これは現在のプロの演技者でも出来ている人は少なくなりました。過去に「大看板」と言われた人達の演技者をたくさん身近に接してきた私にとっては、それで許されている現状に情けない思いでいっぱいです)

「自分を0として相手の上に1を立てる」ことは私の愛読書「役者論語」にも書かれているように、台詞とは『相手を立てる』ことであり、自分の台詞は『聞く人のもの』であるという理論に基づいています。

また「立てる」とは『立場』と言うように文字通り『言葉を相手の場に立てる』ことを言いますが、説明が難しくなりますので是非さくらの稽古に参加されて体感して下さい。

せりふや演技が「リズム崩れ」を起こすと、それを受ける多くの人に迷惑が掛かります。まだまだこの訓練は必要のようです。

                 指導総括      石

稽古日誌(1018日)

          『パスゲーム』

 先週は連休だったので、今日は2週間ぶりの稽古になりました。秋は行事も多く、何かと彼等も忙しそうですが、そんな最中でも懸命な稽古が今日も一日続きました。

今、さくらでは出席点呼から稽古開始までの「仕込み(準備)時間」の短縮が課題になっています。「仕込み」の作業は外部との対応が専業の団長以外、全員で行いますが、団員たちも道具の搬入からセッティングまでそれぞれ担当する作業が決められていて、指導の夏川の指示で何時もテキパキと行われています。しかし良く観察してみると、順調に見える作業が既に「黄色信号」の場合も多いのです。事実何名かは作業の内容が既に薄れてしまって「自動化された作業」になっている団員もいました。(彼等の特徴として『意志力』『自制心』『協調性』という「性格の分類」から判断した場合、圧倒的に『意志力』が強く、『協調性』が弱いという結果が出ています。このことも「形だけの作業」に成り易い原因の一つですが、この説明はまた別の機会にレポートします)

そこで私が出した対策は、現在約30分要している「仕込み時間」を15分にするという課題です。無理難題です。実際に彼等だけで行う作業としては「所要時間15分」という課題は不可能に近い課題です。しかし、劇団さくらで現在取り組んでいるもう一つの大きな課題である『工夫する』ことが彼等自身で出来れば可能なのです。『工夫する』には「状況を把握する」ことや「考えた作業をする」ことなど、たくさんの能力を必要としますが、今日はその基本訓練として『テンポに乗ったボールパスと発声』を稽古しました。

3つの班に分かれてそれぞれ横に並び、テンポを示す音楽に合わせてボールを隣にパスし、そして戻ってきます。(ここで重要なのは、テンポに合わせて「自分が0でボールを渡す相手を1にする」ことです。つまり0→1と数えながらボールをパスすることで、これによって正確なテンポを知ることができます)

結果は大変良好なもので、まだまだ訓練が必要ですが、間隔を広げても発声を加えても、彼等自身でほぼテンポを崩さずにボールパスが出来るようになりました。やはり彼等は「工夫」出来るのです。

                  指導総括    石

稽古日誌(104日)

           『出を大切に』

 2日続きの稽古で、今日は2日目です。

リーダー弥惣兵衛による欠席者・遅刻者への「聞き取り」も順調に進んでいます。リーダーの質問も実に的確で、遅刻者には『何分遅刻しましたか?』と遅刻時間まで聞き取り、自覚を促しているのにも驚きました。全てをノートに書き取り、理由をはっきり言えない者にはノートに書かせていました。その後、私と団長にノートを見ながら報告をします。

恒例の基礎訓練と宿題の答え合わせ、そして新たな宿題の書き写しが終り、今日の稽古は『出の確認』と『きっかけ台詞の確認』です。

演劇だけでなく『出』つまり「舞台に出る」瞬間は本来、大変重要な問題なのですが、客席から見えないだけに演出家も気付きにくく、プロの舞台でも現在は殆どが疎かになっています。

江戸元禄期の著書「役者論語」にも次のような言葉が載っています。

『むかしの役者は揚幕より出端を大事にせし事也。出てむかふを(向こう)切るに各その風情流儀あり』
この言葉の「出端(でば)」とは歌舞伎で見られる橋懸(舞台に向って左側)にあって本舞台にかかる手前のことを言いますが、ここで本舞台に出るための手振りや、場合によっては舞台に出るための台詞があったりします。

この時代にあって既に「昔の役者」と言っているように、舞台に出る前の準備は何時の世でも疎かにされてしまうようですね。

歌舞伎の舞台だけでなく、舞台はどんな舞台でも『性格』を持っています。従って『舞台に出る演者は性格を持って出る』ことが必要です。

ちょっと難しくなってきましたので興味の有る方はご質問頂くとして、結論だけ申し上げると、「性格の要素」である『意志力』『自制心の強弱』『協調性』が舞台では必要で、【上手から出る場合は意志力(押す)】【下手から出る場合は協調性(引く)】【正面に出る場合は自制心(立てる)】この3つが表現された「出方」をする必要があります。

(このことは実際に行ってみると実にしっかりした舞台になります)

この理論や実施方法については大変複雑で、紙上での説明は困難ですので、是非さくらの稽古に参加されて体験して下さい。

何れにしても「役者論語」で言っている通り、現在の舞台では何処でも『出』を疎かにしていて困った現状ですが、発達障害を持った人の劇団であるさくらでは『必要不可欠の稽古』となっています。

さくらの稽古を見学された多くの人たちからの共通したご感想は『みんなの顔がしっかりしていて表情がはっきりしている』というものですが、実はこんな訓練を常に行っている彼等自身の努力によるものなのです。

必要とされれば彼等でもしっかり出来るものですね。

                  指導総括     石

稽古日誌(10月3日)

            『算数の実践』

 今日は日曜日。午後からの稽古ということもあって父兄の送迎も多く和やかな稽古でした。
毎回のことですが、さくらの稽古では準備運動は身体だけでなく「頭の準備運動」も重視しています。

今日の「頭の準備運動」は『算数の実践』です。

毎回稽古場にはAからFまで90センチ間隔で、横に6本のラインを引きます。
そしてライン上には、センターを0として上下双方に向って同じく90センチ間隔で8番まで番号が書かれています。これがバミリですが、これを使って数字の認識を最初にやりました。(上下一人ずつ指名して、私が言った数字通りにバミリを使って認識して行く稽古です)

『3725!』・・『6281!』・・私が言う数字に何の意味はありませんが、団員たちは次々に言われた数字の上に立って行きます。

「3千・・・(立つ)」指導員『はい!』「7百・・・(立つ)」指導員『はい!』「2十・・・・(立つ)」指導員『はい!』「5・・・・(立つ)」指導員『はい!合っています』

指導員が付き添って、一つひとつ『はい!』と確認作業をやることや『合っている、間違っている』を即時評価することは「学習理論」の『即時確認の原理』として、認識の効果を非常に高くしています。と、ここまでは順調なのですが、さて、次が大変です。

「7−3!」・・・これは7の位置に立って、0・1・2・3と数えながら進行方向から後退します。4の位置に立って「4!」指導員『はい!合ってます!』

プラスは前進、マイナスは後退と「立ち位置」の変更を理解することは舞台に立つ演技者には必要不可欠のことで、簡単な「足し算・引き算」は全員が出来なければ困ります。今後もこの訓練は続行します。役者になるのも大変です。 指導総括    石

稽古日誌(9月27日)

           『班長の成績』

 今回は冷たい雨が降って寒い一日でした。数日前の気温の半分以下です。
稽古開始時間の15分前に「点呼」と「稽古場の準備」が始まりますが、今日は雨のせいか遅刻者が3名もいた上に、前日の稽古を休んで今日出席した団員が2名もいましたので、それぞれの「理由を聞き取る」リーダーの弥惣兵衛が大変難儀していました。(理由がはっきりしないためですが)劇団では、命じられたことを確認する意味の「はい!」と「報告する」義務は徹底されています。従って遅刻や欠席の理由はリーダーが聞き取り、記録しています。(全員が自分の台詞を持っていますので当然なのですが)こんな状態が災いしたのか、今日は最初の「歩行」から少なからず乱れが見られました。特徴としては前日出席した団員と欠席した団員では明らかに判断力の差が出ていて、一日でも稽古を疎かに出来ないことを痛切に感じました。

そこで今日は、一本の長い棒を3人で持ちながらの歩行練習をしました。

劇団の歩行練習は歩く方向によって『意志力の歩行』『自制心の歩行』『協調性の歩行』の3種類が決められています。(舞台の演技では絶対に必要なことなのですが、普段大多数の演技者がこの意識もなく演技を行っています。詳しくは劇団の稽古をご覧下さい)

この稽古では3人がお互いに影響されることなく、決められた歩行をしっかり出来ないと自然な歩行が困難になりますが、案の定今日は各組とも酷い歩行になってしまいました。

こんな時、出来の悪い団員を指導するのは班長の仕事です。各班とも1人ずつ棒を持たせて歩かせ、班長の判断で悪い団員に対しては班長が指導を行います。

そして、決められたように歩行が出来るようになった団員の数が班長の成績になります。これは一般の会社と同じ「出来高」なのですが、不思議なことに彼等は「出来高の数を競う」ことは決してしません。3人の班長とも純粋に「出来ている」「出来ていない」を判断し、指導しているのです。
彼等は少しずつ『教わったことは自分たちで出来るようにする』という方向に進み出しています。

                     指導総括    石

稽古日誌(9月26日)

               『読み取り』

 今回の稽古は、またしても稽古場の都合で三週間振りの稽古になってしまいました。猛暑から一転、気温も半分になる激変ぶりで劇団員たちの調子がどうか不安だったのですが、私の心配を他所に普段と変わりなく最初の歩行から稽古に入ることが出来ました。それだけ彼等に持続力が定着したのでしょう。

さて歩行稽古に続き、今日は午前中だけの稽古で時間が短いので台詞稽古に入りました。3つのグループに分かれ、各班長とボールを投げながらの稽古です。

団員たちは、それぞれ自分の台詞をボールを投げた相手の上に発声すれば「相手に言う」台詞となりますので、この場合の稽古は「発声」の稽古で意味内容の稽古ではありません。しかし、驚いたことにリーダーの弥惣兵衛は必ずボールを投げる相手の台詞の前の台詞、つまり「きっかけ台詞」を言っているのです。相手が自分の台詞を言い易いようにしてやっているのは明らかで驚くべき才能です。さすが劇団さくらのリーダーだと感心しました。

次は台詞の意味内容です。これには『読み取り』という方法を使います。

今日の稽古では三郎兵衛役が新入団員であることから次の台詞を使いました。

三郎兵衛『松吉、二日酔い・じゃあ・ねえのか?』

次郎兵衛『まさか! 百姓が・飲み過ぎるほど・金・持ってる・分け・ねえよ』

この台詞をホワイトボードに書いて、次郎兵衛・三郎兵衛だけでなく団員達が交代で実際に「手で一節ずつ取りながら」発声します。

この方法で彼等の台詞は非常にはっきりしますが、注意することは『一節ずつしっかり見て、しっかり取ってくる』ことです。つまり『獲得』です。
団員の多くに「読字」が苦手な者がいます。しかし普段の会話の表出は稚拙であっても困難であるとは言えません。つまり、ニュアンスだけであっても意味内容が獲得出来れば「読字」が出来ることは明らかです。

この方法によって「一本調子の台詞」の弊害も取り除くことができます。

是非、健常者の劇団でも実践してみて下さい。明日も稽古が続きます。

                指導総括     石

稽古日誌(8月8日)

            『父兄の稽古日?』

今日は日曜日、2ヶ月に1回の父兄参観日です。(父兄の研修会と交互に開催しています)午前中から父兄が熱心に参加されましたが、最近は団員と一緒に稽古を体験して頂いていますので、皆さん稽古着に着替えての参加です。

定刻15分前の団員点呼と、団員各自が担当している稽古場のセティングと稽古道具の搬入がテキパキと行われます。(仕事内容が団員同士重なっていないので、停滞できません。また道具の搬入も「○○を取りにきました」というように、目的をはっきり言わないと出来ないようになっています。仕事が終わった場合も報告義務があります)

稽古の最初は3つの班に分かれて、さくらの演技の基本でもある「意志力」「自制心」「協調性」の歩行です。父兄もそれぞれ「我が子」の前後に並んで稽古に参加します。

(前後とは「前でも後ろでもどうぞ」ということです。子の前に入れば「引率」になり、後ろに入れば「後援」になるからで、それぞれの父兄の判断にお任せしています)

さて、第一の問題が起こりました。団員だけの稽古と異なり、全体がバラバラ。調和の取れた歩行どころか勝手放題、駅の改札口に向うような有様になってしまいました。仕方なく3人の班長(1人はリーダーが兼務)を呼んで、何時もの通りに自分の班をまとめなさいと注意をしましたが、なかなか上手く行きませんでした。どうして?・・・それはそうです。原因は父兄にあったからです。
当然参加した父兄はあるきながら色々なことを考えたことだと思います。我が子の見本になろうとした人、我が子の様子をうかがいながら歩いた人など様々だったのではないでしょうか?

そこで全員を集め、ホワイトボードで図解しながら「目的をもった歩行」を、もう一度確認しました。そして改めて歩行を行うと、今度は「注意を与える班長」と「注意を聞く父兄」の図式が出来上がり、徐々に調和の取れた歩行になりました。どうやら今日は『父兄の稽古日』になってしまったようです。

その後、2名ずつの「並行歩行」の訓練に移りましたが、これは団員もまだまだ訓練も足りず、(これは個人差の激しい彼等にとって、非常に難しいのです)

これからの課題を残し、昼食となりました。

昼食タイムは食事をするだけでなく、食後に宿題の答え合わせと新しい宿題の書き写しを行いますが、ここでは指導員の指導を受けながら団員と父兄の様々な微笑ましい人間模様がいつも展開されます。何れ報告します。

午後になって知的障害者の教育の現場で指導を行っている先生が参加されましたので、最初の稽古は発声にしました。課題は「名前呼びと返事」です。「呼ばれたら返事をする」は演劇でも基本中の基本です。普段何気なくやっているこの行為ですが、演劇的にも正しいことをやろうとすると大変難しいことが分かります。

演劇で「相手と台詞を交わす」ことの難しさについては江戸時代からたくさんの名人と言われた人の言葉が残っています。『鞠を蹴るように』とか『さにあらず、相手が仕損じぬように(渡せ)』という言葉もあります。

これをカラーボールで代用してみると、「ボールを投げながら名前を言う」ことではなく、ボールを投げて『相手がストンと取った所に相手の名前を立てる』ということになります。また、返事も投げたボールを『相手が取った所に返事を立てる』ことで会話が成立しますが、これは実際にやってみると大変難しいことが分かります。

これは「相手の名前を言うこと」と『相手の名前を呼ぶ』ことの違い、「返事を言うこと」と『返事を返す』ことの違いで、普段我々は如何に省略しているかが痛い程分かります。臨時参加の先生もリーダーの弥惣兵衛を相手に稽古をしましたが悪戦苦闘、全ての「名前呼び」で弥惣兵衛にボールが届く前に言ってしまうので、「違います!ここです!」と弥惣兵衛に言われ続けていました。反対に弥惣兵衛の「はい!」はボールと一緒に先生の手の上にストンと立つので、先生ビックリ!最後まで脂汗を浮かべたまま上手く行きませんでしたが、ここにはちょっとした秘密が隠されていて、それは『行為・行動の1の前に、動機の0がある』ということなのですが、説明は長くなりますので、是非さくらの稽古に参加されて体験して下さい。

私は、『知的障害者は私達が言う事を聞けないのではなく、私達が聞き取れなくしているのではないか?』という疑問を持ち続けています。また同様に『彼等は覚えられないのではなく、思い出せないのだ』という考えも持っています。

数々の実験でこのようなことが言えるのですが、これからも稽古の様子は報告しますので、是非多くの人の参加をお待ちしております。

稽古日誌(8月9日)

          『一時停止と終止』

 今日は昨日に続き稽古日です。午後開始だったのですが、昨日が「父兄参観日」だったためか多少遅刻する団員が目立ちました。(開始時間ではなく団員の入り時間ですが)

そこで、今日からリーダーの机を出し、リーダーが遅刻者と前回欠席者から理由の聞き取りを行うことにしました。

今までも各班長が欠席者と遅刻者の名前をホワイトボードに書き、遅刻者には理由を言わせていたのですが、新たにリーダーが理由の聞き取りをし、書いた書類で団長に報告をするシステムを加えたのです。

班長から報告のあった前回欠席者と遅刻者をリーダーは1名ずつ呼び出し、理由の聞き取りを始めました。椅子に座って理由を聞き取り、机の上の用紙に書き込むリーダー、その前に立ち、問われるまま懸命に答える団員。その風景はよくある事務所の事務仕事に見えました。リーダーはその後、団長に記入した用紙を渡しながら説明していました。

実技の稽古では昨日しっかり出来なかった「名呼びと返事」の再稽古になりました。

団員同士の稽古ではお互いに「自分のボール」を持ち、自分のボールで相手を呼び、呼ばれた団員は自分のボールで返事をすることになっています。

昨日上手く行かなかった問題は『語尾落ち』です。つまり、「言ったら終ってしまう」という悪い習慣です。

そこで今日は『もう一度!』という稽古を加えました。ボールを投げて名前を呼び、相手のボールと「はい」の返事が返って来たとき、「はい」が語尾落ちしていたら相手のボールを即座に返して『もう一度!』と命じます。言われた団員は最初キョトンとしていましたが、慣れるに従って順調に「語尾落ち」が消えて行きました。

一般的に彼等が普段行っているスキルは「一つの仕事が終わったら、次の一つの仕事」という形式のスキルが主なのではないでしょうか? 劇団さくらの休憩は次の準備のための休憩です。上演時間3時間の大作を上演するためには、身体は休憩しても頭の中は継続する習慣がどうしても必要なためですが、それ以上に彼等が『1つ終るごとに頭の中まで終止してしまう』ことが、彼等の能力を大きく落としている現状が見られるからです。油断するとすぐに再発する大きな問題になっています。

稽古日誌(8月23日)

           『班長の役目』

例年にない暑い日が続いています。熱中症が騒がれる毎日ですが、冷房が効いた稽古場で全員が元気良く稽古をやらせて頂けることを有難く感謝しております。

今年になってからリーダーを中心に、班長・サブ班長、そして団員という団員間の組織を強化する指導を重点的に行ってきましたが、その効果が最近になって著しく現れてきました。

今日も班長に新しい「仕事」が増えました。

最初の歩行練習でしっかり姿勢が伸びていない者がいたり、稽古の意識が薄い者がいた場合によくカラーボールを全員に持たせますが、今までは「班長!ボールを持たせて!」と言うと全員がボールの有る所に集まって、班長が1人ずつ渡していました。

しかし、それでは本来の歩行練習が中断してしまいます。いや、中断することは仕方ないとしても、全員が『ボールを取りに行く』というスキルに集中してしまいます。また、それ以上に今行っている稽古より『新たな作業』に全員が注目してしまいます。(私達はこの現象を「スケジュール魔」と呼んで恐れていますが、スケジュールに拘る人は多いですよね)これでは困るので、班長が「自分の班の一人を任意に指名して、必要数を言って取りに行くことを命令」することにしました。そして班長はボールを取りにいっている間、他のメンバーを前に向かせ「稽古を一時停止状態」にしてメンバーを管理しますが、ボールを取りに行った者は必ず命令した班長にボールを渡し、班長から全員にボールを渡します。

文字にすると大変時間がかかりそうなのですが、驚いたことに大幅に時間が短縮されました。普段は緩慢な動きばかりが目立つ団員もボールを取りに行くことを命じられると、なんと!!走って取ってきたのです。その様子を見ている者もいません!全体が非常にきびきびした感じになりました。
私達は常に考えます。指導する我々こそが彼等の能力を押さえてしまっているのではないか?と・・・・。今日も彼等の能力に驚愕の一日になりました。

稽古日誌(7月26日)

              『実践が難しい』

今日の訓練は『人数を割る』こと、つまり「グループ分け」の訓練です。
始めに □<4<□ とホワイトボードに書きました。そして3名を指名してそれぞれに合計が13になる好きな数字を入れさせました。簡単な足し算ですが、「どちらが大きいか?」という条件を付けると途端に混乱するようです。
それでも指導者がヒントを加えながら考えさせると、多少時間は掛かりましたが3人とも空欄に正解の数字を入れることが出来ました。

さて、次が大変です。自分がホワイトボードに書いた数字通り一塊になっている団員をグループ分けにしなければなりません。

2<4<7という回答を書いた団員がいます。彼は理解が早く、左側から2人、4人、と並べて行ったのですが、最後の7人がどう数えても6人で1人足りません。
もうお気付きの通り、この団員は全員の中に自分も入ることに気付かなかったのです。

彼はこの問題から『全員を数える時は先ず自分から数える』ことを覚えました。

1<4<8という回答を書いた団員もいます。先に前記の団員が行った実践に参加しながら見ていますので、1人、4人、と順調に分けて行ったのですが、最後の7人が多過ぎて上手く動かせません。一人ずつ連れて行ったので数が解らなくなってしまったようです。連れて行く前に数を数えておけば良かったのですが・・・・。今日はこの問題に解決は見られませんでした。次に期待します。工夫が大切ですから・・・・。

二人ずつ並行してリズムに乗り、ステージの上手から下手に歩く訓練もしました。

健常の人なら高校野球の入場行進よろしく簡単に出来ることのように思えますが、これが見るとやるとでは大違い、大変難しい基礎訓練です。

要点は「お互いが同じ目標をもつこと」「お互いが同じリズム感覚を持つこと」「お互いが同じ運動周期を持つこと」「お互いが同じ歩き出しの起点である0(ゼロ)を取ること」などですが、その他に「同じ目線であること」も必要です。

今日は初めてということもあって、なかなか上手く出来ませんでしたが、『一緒に並んで歩こう』という意識が却って失敗の原因になっていました。

一人ひとりが自立した歩きが基本ですが、世に言う『共同歩調』がどれだけ難しいか実感させられた訓練でした。

稽古日誌(7月12日)

              『語尾を取る』

一つの行為行動には、行為行動を計画する「企画性」と確実に行う「実行性」、そして行為行動が企画通りに行われているかを知る「コントロール性」が含まれています。

『意識行為』であるべき行為が『無意識行為』となってしまい、失敗することは普通の人であっても良く起こることです。

外出する時、玄関の鍵を掛けたかどうか記憶が定かでなく、不安になって戻ることを経験したことがあるのは私だけではないでしょう。しかし、そんな時は必ずと言ってもいいほど鍵は掛かっています。ほっと胸を撫で下ろすと同時に『この暑い時になんだ!』と自分に腹立たしくなってきますが、万一鍵が掛かっていなっかたら腹を立てるどころではありません。我が身の『観念』が薄らいでいる危険性がありますからね。と、いうことで、今回のテーマは「コントロール性」です。

最近では若い人を中心に「食べられる」を『食べれる』という言い方をします。

「着られる」を「着れる」、「痩せられる」を「痩せれる」というように、所謂「ら」抜き言葉です。最近テレビで国語学者(?)が「ら抜き」言葉は活用としては間違いではなく、寧ろ「ら」を抜くことで簡単になり言い易いので、今後は固定化されるのではないか、というような意味のことを言っていました。しかし反対に、「○○して頂けますか?」が「○○して頂いていいですか?」というように、勝手に増やして意味不明になっている言い方もあります。どうやら簡素化だけではなさそうです。

言葉とは本来、対する人(たち)と意志の疎通を図るものです。当然言葉の意味だけでなく、発声された響きによって感情や状況までが伝わります。

笑い話なので本当かどうか分かりませんが、むかし東北地方に旅した人が宿泊先で「ゆさどさ」と言われ、さっぱり意味が分からなかったそうです。最終的に『お風呂は如何ですか?』という意味だと解ったそうですが、解った頃にお礼を言っても遅過ぎます。正確には『ゆうさ、どうさ?』だと思うのですが、そうなるとほのぼのとした人情味を感じます。これを「ゆさどさ」と聞いた人の耳が省略してしまったのかも知れません。

私は劇団さくらの団員や教室の生徒には『子音は情景を、母音は感情を表現することに適している』と指導しています。当然そのためには子音と母音を聞き分けられるちょっとした能力が必要です。

「食べられる」は『Ta-Be-Ra-Re-Ru』であり「食べれる」は『Ta-Be-Re-Ru』です。

「着られる」は『Ki-Ra-Re-Ru』であり、「着れる」は『Ki-Re-Ru』となります。

劇団さくらにはこんな訓練があります。

五色のボールが置かれて、それぞれが「あ(A)」「え(E)」「い(I)」「お(O)」「う(U)」と母音が指定され、発声された言葉から母音を取る訓練で今日は『語尾取り』です。

発声する側の団員が発声した単語の語尾の母音を聞き取り、指定されたボールを取り上げる訓練ですが、既に何回も訓練を行っているためか、最初は反応の鈍い団員もいたものの、やがて全員がスムーズにボールを取ることが出来るようになりました。

さて、その効果ですが、結果として全員が指導者の話をしっかり聞くようになりました。

勿論そのためにボールを取った者が『母音を発声しながらボールをしっかり上げる』ことと、『指定した者が、はいと認めるまでボールは降ろさない』という補足も必要です。

これは健常者の劇団などでも有効な手段です。『相手を熟視する』という行動も加えて

是非行ってみて下さい。

稽古日誌(7月5日)

              『役づくり』

 最近ではあまり論議されませんが、役者の世界では役を『外に作るか』『内に作るか』という大きな問題があります。所謂「役づくり」です。

テレビなどの情報番組でドラマに出演した俳優が必ず語るのが「役作り」の苦労話です。

しかし良く聴いてみると、俳優たちはインタビューを受ける際に既に「俳優」を演じていますので、何かしら異様に感じます。

俳優とは職業名ですが殆どの俳優は芸名を持っています。従って普段から「芸名」を演じていますが、その「芸名の人」が台本の中に存在する「役」を演じます。これを俳優個人として考えれば、本来の個人の中に「芸名の人」が存在し、また「芸名の人」の中に「役」が混在するという2重3重構造になってしまいます。つまり、これが『俳優の仕事』なのですが、仕事の成果とも言える観客の評価は最後の「役」に与えられます。

同様に一般の人が社会的に評価されるのも、経歴や業績や仕事ぶりや人柄など、コミュニケーションとして表面に現れるものが対象となります。いくら個人の内面的なものが良くても評価の対象とはなりません。散々仲間の悪口を言っておいて最後に『本当は良いひとなんだけどねえ〜』なんて笑い話はよく耳にします。

評価とは、どんなに素晴らしい考えであっても、行為や行動として表現されなければ他人から受けることはできませんが、このことは知的障害者であっても彼等が劇団さくらで演劇を学ぶことと大きな関係があるのです。

一般にボランティア活動でも同じですが、知的障害者が行う活動は『活動の成果や内容』を個人的に評価されることは稀で、その殆どが『よく頑張りました。よく出来ました』的な人物評価になっています。『努力の成果がこれです。これだけ出来上がりました』と言うような「仕事内容の評価」をされることはありません。

このようなことから彼等の多くは『スキルに走る』結果になり、混乱が起こるのです。劇団さくらでは個人が『仕事をする人間』を外に創り、個人が創り上げた『仕事人間』に『仕事をやらせ』て、『仕事を評価』してもらうことを目標としています。

このことを理解し実行できたとき、彼等の目が輝きだすのです。

稽古日誌(6月28日)

            『またまたスキル』

息苦しいほど蒸し暑い一日でしたが、今日も重要な稽古ができました。
一般的に知的障害者が抱える大きな問題は『オウム返し的な言動』と『意味内容よりスキルに走りやすい』ことです。

例えば、稽古道具を積んだ運搬車が駐車場に着くと、団員たちは一人ずつ順番で道具を受け取り稽古場まで運びますが、その時に交わす会話は『用件をはっきり言うこと』になっています。

『おはようございます』・・・・・「はい、おはようございます」

『○○(道具名)を取りにきました』・・・・・「はい」

この会話で道具を渡されます。そして稽古終了後の運搬では道具を相手に預けるので、
『○○(道具名)をお願いします』・・・・・「はい」

そして、道具は自分たちが使ったので、

『ありがとうございました』・・・・・「はい」 となります。

これだけのことですが、この内容を理解するまで最初は大変でした。

『おはようございます。○○をお願いします』・・・「俺が運ぶのかい?」

『おはようございます。取りにきました』・・・・「何を?」・・・・『?』

終了後では、『○○を持ってきました』・・「見れば分かるよ。それ、どうするの?」・・『?』
『(いきなり)ありがとうございました』・・「それ(道具名)、なに?」・・『?』

 以前はこのような状態が多く見られましたが、現在でも道具の名前を伝えることを忘れたり、目的を間違えることが時々起こりますが、これは彼等が普段から『内容の理解より、素直な行動を優先』させられている、つまり『スキル』を優先する現状があるのではないかと危惧しています。

そしてもう一つ困ることは、道具の名前や目的を忘れたり言えなかったりした時その場で教えると、まるで油紙に絵の具を塗ったようにそのまま言葉を弾き返されてしまって内容を理解してくれないことです。そして、この『オウム返し』は至る所で起こるので、指導を難しくさせる一因になっていますが、その対策として今日は特別訓練を行いました。

団員全員にそれぞれ『自分のボール』を持たせ、一列に並べます。そして、対面に指導者も「指導のボール」を持って立ちます。

指導者が対面する団員に向って「指導のボール」を投げ(下から)、団員に受け取らせます。

指導者は団員に「指導ボール」を受け取らせた瞬間に「春」「夏」「秋」「冬」のどれかを団員に向って伝えます。

「指導ボール」と言葉を受け取った団員は、持っている『自分のボール』の方を指導者に向って投げ(下から)、指導員が受け取った瞬間に、指導者から言われた言葉から連想する「事象」を指導者に伝えます。

(実例、指導者が伝えた『夏』に対して、団員が返した言葉が『花火』でしたが、一種の連想ゲームです)

この訓練で間違いやすいことは、

1、団員が受け取った「指導のボール」をそのまま返してしまうこと(オーム返し)
2、返した言葉が同じになってしまうこと(空回り)

3、返した言葉が周囲の人の答えと同じになってしまうこと(依存)

4、返す言葉が浮かばず、答えられなくなってしまうこと(固執)

などですが、指導員が『伝える言葉の語尾がしっかりしない場合は、答えも曖昧になる』ことも判明し、彼等の『動機』に関する重要な参考資料になりました。

この訓練では、訓練を受ける側の彼等からも笑い声が出て、楽しい訓練になりましたが、結果は全員が『自分のボール』で「自分の考え」を返せるようになりました。もちろんこの訓練一回だけで彼等が前記の問題をクリアーすることは無理ですが、同様の訓練の試行数を多くすることで彼等の欠点が大きく改善することは確実です。

劇団さくらは知的障害者の演劇集団ですが、高度の演劇を行うには彼等の欠点をどのように改善するかが大きな鍵になっています。これからも多くの知的障害者の方に参加して頂くために指導員一同、努力して参りたいと思っております。多くの方々のご参観を心よりお待ちしております。

                 指導総括        石

稽古日誌(6月21日)

               『机上の空論』

 今日は稽古場の都合で午後からの稽古でしたが、最初に行った宿題の「答え合わせ」で思わぬ停滞が起こってしまいました。
弥惣兵衛が出題した算数の問題は5問ありましたが、最初の問題は次のような問題です。 

        □ + □   = 9

 2つのますに何を入れるかは自由ですから、1と8、2と7、3と6、4と5、5と4、6と3、7と2、8と1など、様々な答えがでるだろうと予想していたのですが、以外にも圧倒的に0と9、または9と0という答えが多かったのです。(内心驚愕です)

これは困ったことだと感じた私は、全員に検算をさせることにしました。

カゴを3つ用意し、左から最初の桝の代わりに空のカゴを置き、次の桝の代わりにも空のカゴを並べ、最後の9の代わりにカラーボールを9個入れたカゴと、それぞれ間隔を空けて並べました。

団員は一人ずつ出題した弥惣兵衛に答えを言って、ボールの入ったカゴから答えた数だけボールを取って空のカゴに入れて行きます。つまり引き算になるわけです。

この方法で最初の問題が起こりました。

7と2、という答えを書いた団員がいます。最初のカゴに7つのボールを入れれば良いのですが、ボールが大きいのでいっぺんに7つのボールは持てませんので、この団員はボールを4つ持って最初のカゴに入れてきました。再びボールの入ったカゴに帰ってきたのですが、今度は幾つボールを取って良いのか分からなくなって呆然としていました。

そこで指導に当たった夏川がその団員にもう一度ボールを戻させてやり直しをさせました。今度はボールを取る時に声を出して一つずつ数えました。4つ数えたボールを持って空のカゴにボールを入れる時にも声を出して数を数えます。そして次のボールを取る時にも続きを声を出しながら数えてボールを取り、続きのボールをカゴに入れる時も続きの数を数えました。この団員はこの方法で答えを出し、検算が出来るようになりましたが、この欠点は『一つの作業(スキル)で、一つが終ってしまう』ことにあります。つまり、7を4+3という『数式に置き換えられるか』、または1から7までの順列を『作業が中断しても保持できるか』のどちらかが必要だったのですが、どちらも訓練として不十分だったのです。

私としては『演劇という作業には、ものの経緯が必要』という考えがありますので、高度な数式に置き換えることを覚える前に、まず「順列の保持」が確実に出来ることを願っていますが、自閉傾向にある人にとってはこれも難しい課題だと思っています。

6と7、という答えを書いた団員もいました。彼は最初のカゴに6つのボールを入れ、次の7つを取ろうとした所で『あっ、間違いだ!』と気付き、『3だ!』と残りのボールを数えて正解を出しました。

彼はもっと桁の多い足し算や引き算を、紙の上では難なく計算できる能力を持った団員です。しかし、現実にはこのような自由で簡単な問題を間違えるのです。

弥惣兵衛が出題したこの問題は足し算のようですが、実際には引き算です。従ってこの団員も引き算をしたのですが、残念なことに実数が書かれている右側から9−7=6としてしまったようです。全く予期しなかった答えでしたが、彼等が実際の生活の中で、このような簡単な計算すら必要としない毎日を送っているとしたら恐ろしいことです。

次に、一番多かった0と9、または9と0の答えを書いた団員たちのことですが、この団員たちは父親や母親など、家族の方と一緒に宿題を考えたのではないでしょうか?

そしてこの問題では、指を数えたり、答えの数だけ何か別の物を使って数えたことが考えられます。

親と一緒に問題を考えることは「愛着の再構築」を図る上で大変喜ばしいことなのですが、この問題を足し算と考えると=9という答えが先に出ているので、一つの桝に全部の物を入れてしまったと考えられるのです。また、一つの桝に全部を入れてしまったのですから、あと一つの桝にはもう入れる物は何もありません。残りは一つもないので、仕方なくもう一つの桝は0となったのだと思います。

では、これで彼等がこの問題を理解したのでしょうか? 結果は前記の通りで、「もう一つのカゴには何をいれるの?」と質問しても呆然とするばかりなのです。つまり、これは家庭で勉強したことが『机上の空論』となっていたことが考えられるのです。

算数は『価値観』を獲得するために重要な勉強です。どのような場所でもどのような状況でも計算できることが求められます。勉強のための勉強では意味がないのです。

この答えも夏川の指導で9のカゴから0を取り、(0ですから、実際には目に見えないボールを一つ取ることになります)残ったカゴに0と声で言いながら0を入れます。

これで正解なのですが、『何もない0を入れる』という行為は実際に行動しないと彼等には理解できないのです。『0は、何もないけど0がある』という考え方はとても重要です。

【演劇だけでなく多くの場合、+ は進行の方向を示しています。3+0=3です

が、3−0も3です。この場合、同じ3なのですが、3+0=3はプラス方向に向いての3であり、3−0=3はマイナス方向に向いての3なのです】

一つの桝に有る数字を全部入れて、もう一つの桝には何も残っていないので0にするという机上の答えは危険です。千円を持って出掛けたら全部使ってしまい、帰りの財布の中には何も残っていない空財布で帰ってくる人は以外に多いのではないでしょうか。

このような算数問題の答え合わせには当分の間苦しめられそうです。

               指導総括     石

              その三『歓び』

 人数を3〜4名に限定して(採点が大変なので)順番に、『その日にあった歓びを3つ思い出して一週間書きなさい』という宿題もあります。

その1回目、ある団員が書いてきたことをここに幾つか書き出してみましょう。
【例1】
その1『スーパーのハムがうまかった』

その2『バナナジュースがうまかった』

その3『トキが卵を産んだ』

その4『羽生名人が3連覇した』

その5『公演の花がきれいだった』

その6『キリンがライオンを追い払った』

さて、ここで私が出題した『歓び』について考えてみて下さい。

『よろこび』を辞書で調べると「悦び」「喜び」「歓び」「慶び」と4種類でていましたが、そのうちの「悦」は『うれしく思うこと』とあり、「喜」は『うれしがる』であり、「歓」は『たのしむ』、「慶」は『めでたい』とあります。共通しているのは『よろこび』ですが、どれもニュアンスが異なります。

つまり『悦』は「ひとり悦に入る」とあるように、個人のとても内的なよろこびを感じますが、『喜』は本人と家族の喜びを感じます。そして『慶』は多くの人の祝い事のよろこびを感じますが、問題は『歓び』です。

『歓』には「歓喜」「歓声」「歓呼」「歓迎」「歓待」「歓談」「歓楽」など、その後に「・・を尽くす」と付くことでも分かるように『多くの人のよろこび』の意味があり、そして情景も描写された字が続きます。

勿論お気付きのことと思いますが、『よろこび』にはコミュニケーションの形態がはっきり表れており、またその範囲ごとに異なる字が当てられています。

もう一度【例1】をご覧になって下さい。

実はこの答えを書いてきた団員はコミュニケーションに問題がある自閉症です。

演劇はコミュニケーションの産物と言いますからコミュニケーションに問題があるのは非常に不都合です。従って訓練の一環として出した宿題なのですが、

結果として、本人が書いてきたことを元にしたコミュニケーションの指導は大変効果があることが分かりました。

ホワイトボードのスペースを二分して、片方に『喜び』と書き、もう一方に『歓び』と書きます。

『さあ、「スーパーのハムがうまかった」はどっちかな?』 →『・・・・・』

『うれしかった?』 →『はい!』 

『じゃあ、どっちに入るかな?・・こっち?・・・』    →『・・・・・』

しばらくヒントと与え続けると彼は『喜び』の方を指しました。

『そうだね。じゃあ、どうしたら歓びになるだろう?』   →『・・・・・』
ここからが大変です。ヒントを出して考えさせることが何度も何度も続き、やがて彼と私が導き出した答えは次のようなものでした。

『スーパーのハムがうまかった。○○(スーパー名)で売ってるよ。みんなも買って食べてみなよ。絶対うまいよ!』

一度出来れば後は楽です。次の「バナナジュースがうまかった」も『のどが乾いたのでバナナジュースを買って飲んだらうまかった。まわりの人たちも嬉しそうだった』に変わりました。

これで完全に『歓び』に変わったという訳ではありませんが、彼が仲間の中に入りにくいタイプの自閉症であるだけに、彼のよろこびの方向や見方が『悦』から『歓』の方向へ変化したことは大きな前進です。(例3・4・5・6)

この宿題を持たせるようになって彼の顔は随分明るくなりました。

ご父兄のご苦労も大変だと思いますが、芝居の中では彼の明るい顔が必要なだけに、ご家庭でも飽きずにこの訓練を続けてくれることを期待しています。

これも『観て下さるお客様のために!』がモットーの劇団が団員全員に求めている『価値観教育』の一環です。

                      指導総括   石

             その二『かぞく』

劇団で私が出題した宿題に「あなたの一番大切なものを教えてください」という問題があります。

当然、父兄と一緒に考えなければ良い答えは出ないと思っていたのですが、ある団員が『かぞく』という答えを書いてきました。正確には『かぞくです』と書かなければいけないのですが、それは別としてこの答えには大きな問題を含んでいるので、団員全員を集めて勉強することにしました。

『○○君、この答えは間違っています!君に家族はありません!』

私はいつもホワイトボードに簡単な図を書いて説明します。略図や比喩、ボールやバトン等の道具を使った説明は彼等の理解を大いに助けます。比喩に笑い、ホワイトボードに自ら書き込み、ボールやバトンを使っての実践は、彼等も楽しく学んでいるようです。

この時も、ホワイトボードに大きく丸を書き、その中に「自分」と書きます。更に「自分」の大きな丸の中に小さな丸を2つ書き、それぞれに「おとうさん」「おかあさん」と書きます。そして『何か変だよね。「自分」の中に子供が2人いるようだね。もしかして「おとうさん」と「おかあさん」は、○○君の子供かな?』このように質問すると全員が笑いながら『反対だ!』と理解します。そして、大きな丸の中に「おとうさんとおかあさん」と書き直し、小さい丸を1つにしてその中に「自分」と書きます。それから説明です。

『おとうさん、おかあさんの中に子供がいる。これが家族です。だから○○君

には家族はありません。君はおとうさん、おかあさんの家族で子供です。人は、おとうさんおかあさんからから離れて、自分で新しい家族を作るのです。自分が働いて、頂いたお金だけで食べることも、着ることも、遊ぶことも、家賃を払うことも出来なければ家族は持てません。今君は、おとうさんおかあさんに守って頂いているのです。だから、おとうさんおかあさんを大切にして、おとうさんおかあさんの言うことを良く聞いて、おとうさんおかあさんの大切な子供にならなければいけません。君の答えは「おとうさんとおかあさん」が正解だね』これで○○君は納得し、他の団員は1つ学んだことになります。(しかし、実際にこのことを家庭で実践しなければその場の勉強で終ってしまいますが)

既に皆様はお気付きのことだと思いますが、この問題は『世界』の問題です。

『自分にとって大切なもの(自己世界)』『家庭にとって大切なもの(共同世界)』
『職場や劇団にとって大切なもの(環境世界)』というように、『自分が今この瞬間、どこに存在しているか』によって大切なものは変わります。
『現存在』でも『自分がどこに立っているのか、自分がどこに行こうとしているのか』と、『世界と前進するあゆみ』の確立を説いています。

多くの知的障害者や人格障害者にとって共通する悩みは、『自分が正しい』と本質的に思い込んでいることです。一般健常者であっても他人の説明を聞いた時、

自分の過去経験や既に自分が持っている知識によって、他人の話の善し悪しを決めてしまいがちです。江戸元禄期に書かれた「役者論語」にも、『相手の話を

良く聞き、そのとき初めて返答こころに浮かぶ』とあります。

『自分がどこに立っているのか、自分が立っている世界で自分はどこに歩もうとしているのか』が確立できなければ『全てが自己世界』になってしまいます。

他人を受け付けない自己世界のみに存在する人は『自分が正しい!他人が間違っている』と他罰的になり、自分で全てをコントロールするようになります。

自由主義が個人主義に進みつつある現代日本では、教育の問題や諸般の事情から情緒の発達が遅れていることも確かです。単に知的障害者や人格障害者だけでなく、現代人の全てが、もう一度『現存在』について考え直す必要があると思っていますが如何でしょうか。

稽古日誌(5月24日)
                       その一『復習』

今日の「学習時間」は『職業・職務』の復習から始まりました。雨が降って交通事情が悪かったのか遅刻者が数人いたためです。

最初、劇団さくらに行くために家を出るときの職業は『俳優』です。(一般で言えば、会社員・職人・作業員・事業者などと同じですね)そして、劇団の稽古場に到着した瞬間から彼等の職務は『劇団員』になります。しかし、劇団員の中には『役職』があります。実際に稽古場のドアを使っての復習が始まります。

9時45分、劇団員が入ってきます。『誰だ?○○(団員)を監督する班長は?』
『○○(農民組の団員)を監督する班長は松吉だね。だったら松吉は○○より

 先に稽古場に来てなくては監督できないよね?』納得した松吉が、今度は設定した9時45分より先にドアから入ってきます。すると今度は『誰だ?班長を監督するリーダーは?』慌てて弥惣兵衛が入ってきます。『班長と全員を監督するリーダーは、誰よりも先に稽古場に着てなくてはリーダーの仕事はできないよね』『もし電車が遅れて遅刻しそうだったら、団長に電話して班長に代理を頼むしかないよね。そのためには早くサブリーダーを育てないとね』リーダーや班長は立派です。これだけでしっかりと『はい!』と返事をします。

劇団さくらの指導法の特徴は『説明が先で、何回でも覚えるまで実践を繰り返す』ことにあります。通常彼等は、一度覚えたものでも徐々に薄れます。脳内のシナプスが徐々に崩れて再構築されにくい体質なのかもしれません。従って崩れたらもう一度説明からやり直しをします。しかしこの場合、説明も実践も内容は同じですが、やり方・方法、つまりスキルだけに走ってしまわないように別の方法で行います。
一般に彼等が『覚える』には、『覚えるための運動・行動』が必要ですが、理由は長くなりますのでその説明は別のページをご覧頂くとして、そのための基礎となる『ボール渡し』と『歩行訓練』は、一日何回も行っています。

一度、稽古場もご覧になって下さい。

稽古日誌(5月17日)         『自己紹介』

今日の学習プログラムは『自己紹介』です。劇団さくらは、職業としての劇団ですから世界中の何処に行っても公演を行う用意はしなければなりません。出来るか出来ないかは別として、劇団員たる者、世界中何処へ行っても立派に『自己紹介』が出来なくては困ります。従ってそのための学習も必要になります。

劇団の組織については(もちろん稽古場での組織ですが)過去に何度も勉強し、稽古場で体験していますので、組織についての混乱はありません。

簡単に稽古場での組織を説明しますと、団長がトップでその下に指導総括の私がいて、演技指導の夏川と2名の助手という布陣で、4名の指導スタッフがいますが、団員側には1名のリーダー(弥惣兵衛役)の下に3つの班があります。内訳は奉行組・代官組・農民組の3つでそれぞれに班長がいますが、奉行組は現在リーダーの弥惣兵衛が兼務しています。その他は代官組の班長に代官役、農民組の班長に松吉役という3名の班長がいて、その下に3名のサブ班長(班長補佐)と、またその下に3名のセカンドサブ班長(サブ班長補佐)が任命され、後は一般団員という組織になっていますが、劇団という特殊な環境であることから一般団員と言えどもそれぞれが『役』という職務を持っています。

(劇団さくらには、その他大勢という意味のコーラス、日本ではアンサンブルと言われる団員は存在しません。全員が自分の役の台詞を持つソロ、即ち『役』を持っています)

このことから団員の自己紹介は比較的簡単に行うことが出来ます。
(例1)
『職業は俳優です。劇団さくらのリーダーを務めています○○○○(本名)です』

(例2)
『職業は俳優です。劇団さくらで「おすえ役」を演じています○○(本名)です』
これならば世界中何処に行っても通じる「自己紹介」になります。実際に団員一人ずつ立って行ってみると、全員が実に立派で自信に満ち、自然と拍手が起こりました。

さて、困ったのはこの後です。

劇団さくらの活動は通常週一回の稽古ですので、稽古日以外の日は殆どの団員が何らかの仕事をしています。そして、その内の数人は会社の社員として働いているとのことだったので、社員としての「自己紹介」も稽古して見ました。

(例1)
『職業は会社員です。○○(会社名)株式会社・・・・・・に勤めている○○です』会社名以外良く分からないので質問しました。

 『職務は何ですか?』・・・・・・・・・・・(答え)『分かりません』

 『会社の何課ですか?』・・・・・・・・・・(答え)『分かりません』

 『会社で何の仕事をしていますか?』・・・・(答え)『梱包の仕事です』

正直「参った!」という気分でした。仕事は真面目にしているけれど、職務については何も説明されていないのでしょう。これでは彼等が「スキル」に走るのも無理ありません。作業所のような所へ通っているという次の例にはもっと困惑しました。
(例2)
『職業は・・・・・・・・・・・・・・・・・』

突然止まってしまったので質問しました。

『会社員じゃないよね。作業所なら作業員かな?』・・(答え)『・・・・・・・・・』
『じゃあ、何処に行ってるの?』・・・・・・・・・・(答え)『○○○○(施設名)』
『じゃあ、君は○○○○(施設名)の何なの?』・・・(答え)『利用者!』

何ということ!利用者か!? 正直驚きました。

父兄の話では、確かに彼はその施設で真面目に仕事をしています。しかし、彼の立場は「労力を提供する側」ではなく、「仕事を提供されている側」つまりサービスを受ける側だったのです!

私は彼等のような知的障害者を受け入れてくれる会社や作業所のような存在を否定する気持ちは毛頭ありません。寧ろ多くの知的障害者を救う有難い存在だと思っています。しかし、『現存在』の理論を持ち出すまでもなく、彼等が『働く立場』として『自己の存在』を確立出来なければ自己は揺らぎます。揺らげば彼等の特徴でもある『対人操作』が起こることも充分考えられ、やがては『失職』や『職場放棄』という結果を招くこともあるでしょう。

前回は『価値観』がテーマでしたが、彼等が知的障害者であっても人間である以上、自己の存在を知り、獲得した『価値観』によって生きて行くことは絶対に必要なことです。

現状で彼等の働く場を提供している会社や作業所などでの彼等の処遇に対しては理解できますが、せめて彼等に対して『職務』を与えて欲しいものだと切に思っています。

                劇団さくら 指導総括 石

2010

稽古日誌(12月6日)

            『二つ事』

一般的に知的障害を持つ彼等には『2つ事が出来ない』と昔からよく言われていました。本当にそうなのでしょうか?

確かに彼等は1つの仕事(さくらでは演技ですが)をしていて新たなことが起こると、仕事を『停止する』か『休止する』か、或は『新たなことに走る』かしてしてしまう傾向を強く持っています。しかし、この傾向は健常者と言われる人達でも昔から一般的にあったことなのです。度々引用しますが、江戸元禄期に書かれた「役者論語」にも次のような言葉が載っています。

『今の上手の(上手いと言われる役者)の中に、相手のせりふを言う内に、休んでいる藝者(演技者)多し。良からぬ事にや。第一狂言(芝居)ゆるまり、其身のからだ死ぬるなり。とかく台詞を言う相手の顔をよく見ているか、但耳をそば立、聞いているが良し、といへり。』

改めてこの文章を読むと、如何に現代の日本の演劇が進んでいないか、いや寧ろこのことを言う人も居なくなった分だけ衰退しているように感じられ、約半世紀前に舞台や舞台音楽に憧れてこの世界に入った私としては、情けない思いがしますが、私情は別として劇団さくらの団員も演劇を行う以上『自分の台詞以外は休み』であったり、『誰かが笑ったら自分も笑う』では困ります。一度自分の役になったら終わりまで『自分の役で演技を続ける』ことが演技者の仕事です。直ぐに素の自分に戻ってしまったり、素のままで役になっていると思っているのは日本の俳優の悪い習性ですから、これは訓練するしかありません。

そこで訓練ですが、劇団さくらではこれを修正するために、現在『歩行訓練』で次のような訓練に挑戦中です。

(注:劇団さくらの舞台での歩行は、上手から下手へは「意志力を示す」押す歩行。下手から上手へは「協調性を示す」引く歩行。奥から前、または前から奥へは「自制心を示す」立てる歩行、が義務付けられています)
【訓練その1】

班ごとに一列に並び、稽古場のバミリを使って、歩行の特性を維持しながら、最後尾の班長の指示で舞台を自由に歩く。(テンポ音入り)

【訓練その2】

1.   各班ともに一列に並び、歩行の特性を維持しながら歩く。

2.   途中、指導者から『班長!全員にボールを持たせなさい!』の命令が出る。

3.   班長は『特性の歩行を止めることなく』サブ班長へ必要数のボールを持って       来ることを命じる。

4.   命じられたサブ班長は、『特性の歩行を乱すことなく』持ってきたボールを班長に渡して列に入る。

5.   班長は『特性の歩行を止めることなく』班の全員にボールを渡し、歩行を続ける。

訓練−1は班長が先頭ならば簡単に出来るようになりますが、先頭に居ては全員が『正しい歩行』をしているか判断が出来ないことからどうしても班長は最後尾に並ぶ必要があります。班長は『正しい歩行の監視』と『先頭が理解する早い指示を出す』ことの2つを同時に行う必要があります。しかし、彼等は『予測』の経験が浅いためか、どうしても『指示の遅れ』が起こり、全体の歩行が緩慢になってしまいます。演劇では「テンポの遅れ」の原因にもなりますので今後も訓練を続けます。

訓練−2は非常に難しい課題です。

彼等は早い段階で『スキルを団体で教育されている』という経験を持っているためか、最初の班長への命令を全員が自分のこととして聞いてしまうので、早くも『歩行の継続』が崩れてしまいます。そして、次の「班長がサブ班長に命令する」段階でも『班長が班の管理をする』という『最初の班長の職務』が崩れますので歩行が止まってしまいますが、最も困難なのが、『歩行を止めることなく、サブ班長が班長に全部のボールを渡す』ことです。

実際にこの訓練を行ってみると、初期段階ではボールの受け渡しで歩行を止めてしまったり、歩行を無視して早く自分のボールを取ろうとする者が居たりで大混乱しましたが、中でも最悪のパターンが『班長の命令でボールを取りに行った者が、班長に全部のボールを渡さず他の班員に直接配ってしまう』という誤った行動をすることです。

私はこれら誤った行動をする原因の多くは『自分の職務』つまり、『自分は何をするのか?』という意識の稀薄さにあると思っています。

そこで、この訓練の前段階として次のような予備訓練も行っています。
【訓練その2の予備】

1. 各班ともに一列に並び、歩行の特性を維持しながら歩く。

2. 途中、テンポ音を止めて指導者から『班長!全員にボールを持たせなさい!』の命令が出る。

3. 班長は特性の歩行を止め、班員の中から任意で1名を指名して、必要数のボールを持って来ることを命じる。(班員は進行方向に向いたままで)

4. 指名された者がボールを取りに行っている間、班長は全員を進行方向に向かせたまま待機させる。(休みにしない)

5. ボールを持って来た団員は、全部のボールを班長に渡し列に戻る。

6. 班長は全員にボールを渡し、テンポ音と同時に歩き出せるように待機させる。

7. テンポ音と同時に全員がボールを持って歩行を開始する。

この訓練では、常に休むことなく『自分は何をするのか?』という義務を勉強しますが、何も指導しなければ彼等は全員でボールを取りに行った者を見て休憩になってしまいます。班長を正面に、全員が進行方向に向ってボール待つことが出来るようになれば、次の歩き出しも全員がスムーズに出来ます。

注意欠陥のような障害を持った者でも義務という『目的』を持たせればやがて出来るようになります。

演劇は『本人』と『演じる役』を持つことから常に2つ以上の動機が必要です。

本人が休んでも演じる役が休まなければ演じ続けることは出来ます。『一言台詞を言っては休む』では演劇になりません。劇団さくらの団員だけでなく、舞台になると皆で同じ所を見て動かずに休憩しているような現役の役者さんも含めて、みんなが2つ事を出来る人に成長して欲しいと願っています。

                  指導総括    石

稽古日誌

稽古日誌(8月2日)

           『集中が難しい?』

今年の夏はどうにもならない暑さですね。まるで熱帯、熱中症に注意しましょう!
ということで、今日の稽古は稽古場の都合で午後1時開始でした。場所もいつもの広い稽古場と違い、狭い場所で(と言っても団員数からすれば広い所です。贅沢を言ってはいけません)何となく鬱陶しく感じました。

んな雰囲気を団員達は敏感に感じたのか、今日の稽古は最初から動きが悪く、稽古に「集中」出来ない様子でした。

さて、ここで『集中とはなんだ?』という問題が起こります。

私達は子供の頃から親や先生からその意味も解らず『集中しろ!』と言われ続けてきました。そして私達は意味も良く解らないまま「叱られるから静かにしてよ。お行儀良く、真面目にしていればいいんだろう?」と、言う事を聞いてきました。・・・・本当にこれで集中なんだろうか・・・?

集中・・・・中に集まるか・・・・・・何が集まるんだ?

集中心・・・心が中に集まるか・・・・この場合の心って何だ?

一点集中・・一点の中に集まるか・・・一点って何処に在るんだ?

考えれば考えるほど「集中の行為」がどういうものか解らなくなります。解らない限り、彼等がどんなに散漫であっても注意のしようがありません。

以前ものの解説書に「情緒」の三大要素として『集中性』『高揚性』『くつろぎ性』が列記されていましたが、私もなるほどと得心しました。

私の指導原則として『人間は自動的に動く動物』であり『生から死まで停止のない運動は円運動』である。主たる運動は頭部・胴部・脚部(腕は省略)に分かれる。というものがあり、観察的な円運動(循環も含む)を中心に指導を考えていますが、「情緒」を運動として捉えるとこの三大要素が、

ある動機を起点とし→高揚性→くつろぎ性→集中性→高揚性→くつろぎ性→という循環として現れてきます。つまり、集中を図るためには「気持ちの高まり(高揚性)」も「満足感(くつろぎ性)」も必要だと解ります。

そして『滑らかな回転運動』こそが「冷静な状態」なのです。
(よくダンスや音楽などで「ダウンビートを強く」とか「ダウンビートを鋭く」などと言う場合がありますが、これは「集中性を強く」または「鋭く」を意味し、結果として「強い跳ね返り(高揚性)」を求めるものです)

劇団さくらでは、彼等特有の「沈滞」や「混乱」など運動として現れている乱れを「回転運動」によって「円滑」にしています。

今日は「意志力」を求める『押す歩行』、自制心を求める『立てる歩行』、協調性を求める『引く歩行』を中心に行いました。

「歩行」そのものが沈滞している場合は、紐を付けたボールを回しながらの『回転運動の歩行』を行います。

今日も途中からですが、どうやら「集中」して稽古に励むことが出来ました。午後からの稽古は、どうやら彼等の「午前中の過ごし方」に課題がありそうです。また、新たな課題が増えました。

各種の訓練プログラムは、文章だけではお解り頂けないことと思います。
興味をお持ちの方は是非稽古場にお越し下さい。

               指導総括      石

             その二『無回答

今回は宿題のことで新たな問題が表れました。

私が出題した宿題に対して無回答の者がいつも数名いるのですが、それが不思議なことに同じ人間なのです。特に知的レベル的には問題も無く、劇団の方針として「やらないことが本当の×」というルールも理解しているはずなのです。

何が原因なのか? ある団員の答えに「わからなかったので答えはありません」という迷回答が書かれていたことで理解しました。

劇団では「親子の愛着の再構築」を図り、問題の意義を親子で考えて頂くことを目的に『宿題は父兄と一緒に考える』としているのですが、どうやら自分だけで宿題をやっている者がいるようなのです。

更に調査してみると、かなりの数で父兄の前では宿題をやらない団員や、父兄と宿題をやることを拒否する団員がいることが判明しました。

なぜ父兄と宿題をやらないのか? 本来なら「親と何かをする」ことは楽しいはずなのですが、何故か親と宿題をやることを嫌がる団員がいるのです。それも一緒に宿題をやることを拒否する団員は、父母どちらか教育に熱心な方と宿題をやることを拒否する傾向にあることも分かりました。

この結論はあくまでも推察の域を脱していませんが、一つの理由として、生活自立のために『何でも自分でできる』ことを家庭内で強く教育してきた結果が表れているのではないでしょうか?

現実に彼等が大人になるにつれ、家庭内での口数も少なくなっているようです。
「何でも自分で出来る子はレベルの高い子」と思われがちですが、独善的に何も相談しない子、親の許可も得ず行動してしまう子、親と一緒に考えられない子、親の言うことを聞けない子になってしまっては元も子もありません。

「レベルの高い子」ほど、この傾向にあることは憂慮すべきことです。

劇団さくらの宿題は、全員が『親と一緒になって問題解決ができる』ようになるまで続ける決心でいます。

                          指導総括    石

稽古日誌(5月10日)      『宿題』

久しぶりの書き込みです。劇団さくらでは、現在「算数・国語」の宿題が急ピッチで行われています。俗に言われる『読み・書き・そろばん』ですが、これは大昔から行われているように、「人格の形成」に欠かすことの出来ない基礎の教育です。もちろん劇団は教育機関ではありませんので、この教育だけを専門に行うことは出来ません。従って『宿題』として父兄とともに考えて頂くことになります。

演劇は登場人物の『人格』と『価値観』を表現することですが、同時に人格の違いや価値観の違いをコミュニケーションとして交わされることでドラマが展開されます。そこで『言葉の知識や意味内容を知り、コミュニケーションを理解するための読み・書き』と『価値観を学ぶための算数』が必要になるのです。

普段は団員の中に出題係と採点係がいて、昼休みの間に出題と採点が行われていますが(指導スタッフは全体を監督しています)時たま私から全員に出題する場合があります。その中で算数の比較の問題としてこんな問題があります。

『1個1000円のメロンと1個800円のイチゴ、どちらが高いですか?』

答えは殆どの知的障害者が「メロンの方が高い」と答えました。

更に劇団さくらの団員に『どうして?』と問うと、『1000円の方が高いから』という答えでした。さあ、大変です!

一般論で言えば『1個1000円の普通のメロンと1個800円もする特別なイチゴ』という価値観から、答えは『イチゴ』ということになるでしょう。

問題は品物の価値観としての見方ではなく、単純に金額の高低で答えを出してしまったことにあるのです。つまりスキルとして単純に算数の引き算をしてしまったのです。

問題は『比較』ですから引き算をすることではないのですが、ここにも彼等がスキルに走りやすい特性が表れています。

さて、劇団の宿題は「家に持ち帰って家族と一緒に考えて下さい」としています。そして「出来るだけ実践して答えを出して下さい」ともお願いしています。

これは『親と子の愛着を再構築する』という目的がありますが、それ以上に家族で問題を実践することで様々な価値観に気付き、そして『実践により確信を得る』ことが出来るからです。

もう一度、前出のメロンとイチゴの問題を実践した場合はどのような答えが出るか考えてみます。
『バーゲンで安売りしてたメロンを1000円で1個買ってきました。そして安売りのイチゴの隣の棚に、1個800円もする立派なイチゴが並んでいたので、思い切って1個だけ買いました。さあ、どちらが高いでしょうか?』

この答えは一般的な価値観で考えるなら『イチゴの方が高い』となるでしょう。しかし次の場合はどうでしょうか?

『何時も不機嫌な店主のいる八百屋さんの奥の方に、埃を被って放置されていたようなメロンを、厭な気分だったのですがどうしても必要だったので、我慢して、1個だけ1000円で買いました。帰りに隣の産地直送の店先覗くと大きくて立派なイチゴが大切に飾ってありました。愛想の良い店主が出て来て、本当は1個2000円もする
名品だけど、今日は特別に1個800円で販売していますと言うので安いと思って1個だけ買いました。さあ、メロンとイチゴ、どちらが高いでしょうか?』

このような場合の答えとなると、どなたでも不快感を伴って『メロンが高い!』と怒鳴りたくなるでしょう。つまり、価値観の比較は単に数字の比較だけでなく、その時の状況や感情によって変化するものだと分かります。

劇団さくらの演劇には『登場人物それぞれの立場での価値観の違いによってドラマを形成する』必要があり、そのために『宿題は家族と一緒に、出来るだけ実践して考える』ことを団員と父兄に求めています。これをお読みの方、一度試してみては如何ですか?         
                            劇団さくら指導総括 石

稽古日誌(1220日)

         『だから・・・』

今日から新しいプログラムが始まりました。

『だから・・』つまり【理由付け】です。もちろん演劇では物語を説明する場面が多いので、必然的に『だから・・』や『だけど・・』などの理由付けの言葉が必要になるためですが、一般的に彼等の会話の中にはこのような言葉は現れてきません。これが彼等が「折り合い」を付けられない理由なのかどうか分かりませんが、一般社会人の方々と話をする時にきちんと理由を説明できないでは周囲が困ります。

そこで『だから・・』の稽古1回目ですが、まずホワイトボードに1番から5番まで番号を書きました。そして『だから』を書き、行動を書きました。

1番・・→だから、赤と白のボールを持ってくる。

2番・・→だから、前の方にある椅子に座って挨拶する。

3番・・→だから、小道具を整理する。

4番・・→だから、大きいボールを二つ持ってくる。

5番・・→だから、椅子の側で自分の台詞を稽古する。

このように決め、リーダーと指導員が各団員に番号を言って一人ずつ行動をやらせてみました。

最初は全員が多少混乱しましたが、慣れるに従い理解を強くし、行動も非常にスムーズになりましたが、結果として『だから』は思考回路を無理なく円滑にする効果があるようです。そしてリーダーや指導員が『だから』を一緒に言ってやることで思考を誘導することも分かりました。

結果が非常に良かったことから順次問題を複雑にしていこうと思いますが、私は今後の方針として、彼等特有の『写真的判断』から論理的な『回路的思考の判断』ができる演技者に向けての指導を行いたいと考えています。既に彼等は『推理学習』を常としていますので、これも可能だと期待しています。

今年も残り少なくなりました。望みは多くてもなかなか前に進みませんが、彼等を演技者として社会に送り込むという大きな夢は膨らむ一方です。

外国では知的障害者が主演した映画『八日目』のような素晴らしい作品があります。また有名な作品『ニュー・シネマ・パラダイス』にもベテラン俳優が演じていましたが、愛すべき人として知的障害者が登場しています。(この知性派ベテラン俳優へのインタビューでは知的障害者のことを「世界中どこにも一般人として存在する愛すべき人達」というような敬意を評した言い方をして、見事な演技をしていました)

彼等はどんなに努力しても表に現れる表現まで障害をなくすことは不可能かも知れません。しかし、内面からのコミュニケーションが一般社会人と対等に行えるなら演技者としては「障害」は個性になります。現にリーダーの弥惣兵衛や班長の松吉を始めとする数人は、職業としてテレビや映画に出演したとしても何の不思議はありません。

特に黒部団長は彼等を演技者として社会に送り込む願いを強く持っています。

そのためには来年も「演技者として社会人として」立派に彼等が成長するために私も一層努力する所存です。

来年もご理解・ご後援を宜しくお願い申し上げます。

                 指導総括   石

稽古日誌(98日)

           『分けられない!』

最近は稽古場を押さえにくくなったのか、また一週間あいてしまいました。その上、今日は午後から稽古でした。連日の暑さもあり、緊張を欠いた稽古になってしまうことを覚悟して稽古に臨んだのですが、以外や以外、最初の歩行稽古から実にしっかり出来るのでビックリ!感動を覚えました。

劇団さくらで毎回宿題を出していますが、宿題は家族と一緒にやるように指導しています。しかし、彼等は小さい時から「何でも自分でやる」ことを教えられ、大きくなっては「自分の行動が出来る喜び」を体験していますので、なかなか家族と一緒にやろうとしません。また、家族によっては「自立心を育てる」ことに重きを置く場合もあるでしょうし、「忙しい」ということもあるでしょう。

しかし、学習は課題がなければ起こりませんし、能力を上げるには「周囲のヒントによって獲得する」ことが必要です。間違った答えをそのままにしたり、出来ない問題はやらないでは前に進みません。

長い間、団長の父兄への説得もありました。指導員たちの懸命の指導もありましたが、それによって彼等が「考えようとする力」が付いてきたのも確かなことです。宿題を出し始めてからどの位経ったのか失念しましたが、ご父兄の努力が実ってきたようです。(油断はできませんが・・・・)

演劇は「考える力」なしでは出来ません。彼等が約2週間の間「考える力」を持続出来たことを私は誇りに思います。

さて、また新しく問題が発覚しました。算数問題ですが、

(?++?)==(?+?)という問題で、?は好きな数字を入れるという課題です。しかし、これに悪戦苦闘する団員が多く見られました。

++= や、2+= なら簡単に7と答えを出せるのに何故だろう・・・?

そこでホワイトボードの右と左に小さい○を7つ書きました。そして、それぞれ1名を指名して、左側の団員には「3つに分けなさい」と命令し、右側の団員には「2つに分けなさい」と命令しました。

  ◯ ◯↓◯ ◯↓◯       ◯ ◯↓◯

一般的に考えれば、前図のように縦に線を入れれば簡単に出来るはずなのですが、何分かかっても◯の数を数えるばかりで何故か出来ないのです。つまり、「括り」が出来ないのです。さあ大変! これでは団員の自主的なグループ分けが出来ません。仕方ないのでサインペンを7本用意して握り、指導員の手を使って3本の手に分けさせました。もちろん、最初は少々ぎごちなさがありましたが、すぐに慣れてサインペンを3つや2つの手に握らせることが出来るようになりましたので、3つや2つのグループに分けた所でそれぞれの数を数えさせて、その数をホワイトボードに記入させました。 やっと出来た!

++=7が出来て、なぜ答えの多い?++=7が難しいのか?

++=7が出来て、なぜ7を3つのグループに分けられないのか?

劇団さくらの舞台は0をセンターに上下8番まであります。そして前後にはABCDE、のラインが引かれていますが、その中を団員達は「いくつ上へ」「いくつ下へ」「前に、奥に」と舞台用語を駆使して移動します。

ご父兄の多くが入団時に「うちの子は算数が苦手です」「うちの子は読字が苦手です」と仰っていました。しかし、演劇の舞台は多少の算数・国語が出来なければ勤まらないはずなのですが、全員が指示通りに動いています。つまり、今の団員達は出来るのです。ただ、学んだことを応用する術を知らないだけなんだ、と私達は考えています。

紙上の計算が出来るなら、紙上の構文が出来るなら、実践出来なければ意味がありません。私達はこれからもこのような問題に正面から向かい合って、彼等とともに進んで行きます。

                指導総括       石

稽古日誌(6月7日)

             その一『目標をもつ』

今日の稽古のテーマは「目標をもつ」ことでした。

さくらの団員だけでなく、一般的に知的障害者は自分の目標を持つことに弱いようですが、これは毎日同じ仕事に追われ、注意されるだけの生活では当然のことかも知れません。たまの楽しみも与えられる楽しみばかりですからね。

『水怒り』の冒頭で、農民達が嵐の中を走り込んで来て闘いの歌を歌うシーンがありますが、ここでは嵐の明かりなので舞台も暗く、おまけに走り込んで来て位置に立つまで6/4拍子で1小節しかありません。大変難しいのですが、何時もだらだら走って来てウロウロしてしまう団員が数人います。2小節目の頭で全員が揃わなければならないのですが、残念ながら今まで完璧にできたことは一度もありません。原因は舞台に出る前に「自分の目的地(目標)を確認できない」、つまり目標を持てないことにあるのです。
そこで今回はこんな方法を取りました。

最初にそれぞれが大きいボールを持って自分の位置にしっかり立たせました。

「ボールをしっかり持って突き出す」という意味は『自分の役をしっかり持つ』ということです。また、「自分の位置にしっかり立つ」という意味は『自分の存在をどこに置くか』ということを強く記憶させるためです。

そして、自分のボールを自分が立つ位置にしっかり置かせてから全員を出待ちに戻し、そして音楽を流しました。

一斉に走り込んで来た結果としては、今までにない強い走りでかなり良好なものでした。もちろん全員が短時間で理解できた分けではありませんので完璧という所までは行きませんでしたが、少なくとも周囲の者に流される現象は見られなくなりました。彼等に『目標を持たせることの大切さ』を改めて痛感した一瞬でした。