稽古日誌(827日)

         『禁止することについて』

今日は何時までも本当に暑いですね!

今日はちょっと狭い稽古場だったので、余計に暑く感じた稽古でした。

さて、今日の稽古のテーマは『禁止』についてです。

誰でも一歩外に出れば世の中『禁止』だらけだと気が付きます。いや、家の中に居ても『禁止』だらけなのはどうしてでしょうか?

一般の方々なら、それは『みんなとの約束』で、それが『仲良く暮らして行くルール』として理解されているのかも知れませんが、これが社会構成もよく理解しきれていない彼等の場合は、その理由も分からずに『やってはいけないこと』とされるのですから相当な緊張を強いることになってしまいます。そこでこんな訓練をしました。

稽古場の床に貼ったバミリのライン上(横のライン)を歩く訓練ですが、このライン上に目印として90センチ間隔に貼られた印を踏まずに歩く訓練です。つまり『印を踏んではいけない歩行』が課題です。たったこれだけの歩行ですが、これが大変難しいらしく、『いけない!』と思いながらも2〜3歩もしない内に印を踏みながら歩いてしまいました。そこで全員を集めて『ダメ出し』です。

『禁止(やってはいけないこと)』とは『禁止以外は自由だ』と言うことだ。実際に立って、『印以外のここでも、ここでも良いということだよ』と話し、理解させました。

そして再び訓練です。しかし、思った程良い結果は出ませんでした。そこで一考。

今度はボールを使った訓練です。指導者側からカラーボールを2個同時に投げます。

そしてその時、『取ってはいけない色のボール』を指示します。受ける側は『取らなければいけないボール』を取って、指導者にボールの色を言いながら返します。

この訓練でかなり改善しますが、それでも『取ってはいけないボール』を正面に投げると『うっかり取ってしまう』ことが多く、指示の音声より視覚の方が強いことが分かります。しかし、この訓練をやった後に再度『印を踏んではいけない歩行』を行なってみると、今度は前回より遥かに改善しました。当然喜ぶべきことなのですが、必ずしも手放しで喜ぶということにはなりません。何故なら『選択肢が減った』だけなのかも知れないからです。『足を踏む所と踏まない所の2カ所に選択肢が減ったから出来た』としたら、私が求めていた『禁止以外なら自由』ということと、『意識としては違っている』ことを示すものであり、完全に満足する結果とはならなかったことになります。従ってこの指導はもう少し研究しなければならないと感じました。

今日はこの『取ってはいけないボール』の訓練にもう一つプログラムを加えました。

予めボールの色に発声の単音を決めておきます。例えば、赤は『あ』、緑は『え』、黄は『い』、白は『お』、青は『う』ですが、これを暗記しておいて『取ってはいけないボール』の訓練を行ないました。そして受ける側の人が正しいボールを返す時に指定された単音を発声します。(例えば、指導者が赤と白のボールを同時に投げながら取ってはいけない色、「白!」と指定します。受ける側は間違いなく赤のボールを取って、指導者に赤のボールを投げ返し、「あ!」と発声します)

劇団さくらの団員達は実に立派に成長している!と感じました。この複雑な訓練に迷うことなく即座に理解して訓練に汗を流しているのです。もちろん「何の色が何の単音」だったか瞬間分からなくなる時もありますが、そんな時は指示が書かれたホワイトボードを見て正しい発声をしていました。『自分で難問を解決する』という実に立派な行動です。

『何故この訓練なのか?』という問題ですが、実は演劇の台詞はこように『受け渡し』されるからです。前の人が言った台詞と全く同じ台詞を言うことはありません。たとえ『オーム返し』で同じ台詞を言ったとしても『台詞を言う動機』は異なっています。

台詞を言うことは『台本に書かれた台詞を順番に言う』ことではありません。『相手の台詞を聴いて』『相手の言葉に反応』することです。

彼等が『自分で難問を解決する行動』は、こんな訓練で行なっています。

この後に『みんなが同じ心で同じ意味を言う』という特殊な台詞『割り台詞』の稽古も行ないましたが、これについても留意しなければならないことが幾つかありますが、この様子は次回に報告することにします。

  稽古日誌(820日)

      『受けること、裏打ちすること その3

今日も暑かった!残暑なのに盛夏より暑いですね、稽古道具の搬入だけでも大変です。

それでも団員達は愚痴一つ言うことなく懸命に稽古を重ねました。

稽古の最初に必ず行なう『歩行訓練』も最近は歩幅も広がり、実にしっかりした歩行になりました。そこで次の訓練に入りました。

よく『最初の一歩』と言われますが、実は最初ではありません。つまり『歩き出し』という1の前が必要です。そしてその1は次の2のための準備でなければなりません。

ちょっと分かり難い説明ですが、要約すれば『0は1のために、1は2のためにある』ということですが、言葉で理解することは易しくても、これを実際に行動にすると非常に難しいことが分かります。では、『歩行訓練』の話しに戻しますが、仮に1を到達点にすると、2の準備はどこですれば良いのでしょうか? これが大きな問題なのですが、実はよく見られる行動で、彼等の多くが『一つの行動の後は休止してしまう』という欠点を持っています。そして、この原因の多くが『1が到達点なので1で終結してしまう』という彼等の行動にあります。

しかし、これは何も彼等だけの現象ではありません。中小のミュージカル劇団などにも見られることで、舞台に釘打ちされたように立ち尽くす姿がよく見られます。そしてその解消法として『もっと自由に動け』と言われ、あげくの果てに『アドリブOK!』となってしまいますが、これでは『コントロールされた行動』とは言えません。

では、どのように訓練すればよいでしょうか?

もちろん最初に行なうことは言葉の上での理解です。それでなくても彼等の多くは突然未知のことを強制されれば緊張し、混乱するからですが、実際には言葉の上で理解することは皆無でしょう。しかし、それで良いのです。何故なら彼等が説明を受けるという行動自体に『教わる立場』を体質的に理解するからです。

そして『教わる立場』の準備ができたら『0で伸び上がる、1で伸び上がる、3で伸び上がる、4で伸び上がる』と繰り返し、『0は1のため、1は2のため、2は3のため、3は4のため、4は1のため』と繰り返すことで、かなりの確率で改善されます。

何故このように改善するか? それにはちゃんとした理由があります。

音楽には『導音』と呼ばれる音の存在があります。導音によって次の音が必ず決まった音に導かれるからですが、これを『解決』と言います。しかも、もっと不思議なことに導音のままで終って解決した音が無くても導音が終った後に解決したように感じてしまう現象があります。具体的には昔懐かしいタンゴの曲には最後がソ・シ・レの和音で終っている曲が結構ありますが、何故か終った後にド・ミ・ソと解決した安定感を感じてしまうのです。

このように『いま演奏している音は次の音のためだよ』という指導法で演奏技術が未熟な者に演奏技術の習得をさせることも行なっていますが、これも効果は絶大です。

『今日は明日のため、明日は明後日のため、今日をしっかりやれば明日もしっかり出来る』というような指導は人間の特性を生かした指導だと思います。人間の発達としては多くの欠点を持っている彼等ですが、徒に彼等の欠点を指摘するだけでなく、その裏にある『人間性』を信じて指導して上げることが大切だと私達は強く感じています。

発達障害者に対する指導とは『そこに欠点がある』から、そして『その欠点に悩む人がいる』から行なうものであって、その欠点を知らない人にとっては『欠点が改善されたと言っても普通』です。オリンピックで金メダルを取るほど努力したとしても人間として見れば普通の人になっただけです。指導した人が偉いなどと言われることはありません。しかし世の中が『障害者が他人に迷惑を掛けるのは当たり前』となってしまっては大変です。普通になることは『他人のため』でもあることなのです。多くの人達がその努力をなさることを私は切に願っています。私達もその褒められないことのために汗を流す決意でおります。今後もご理解を頂けますようお願い申し上げます。

  稽古日誌(86日)

          『割り算の計算』

今日の稽古は雨が降った後で、さすがに暑い夏も‘夏休み’でした。ちょっとだけ楽な稽古が出来るかと思ったのですが、やはりキツい稽古になりました。

最初の歩行訓練(最近は全員の歩幅が広くなりました)に続き、今日から算数の割り算を始めましたが、割り算の最初から『余り』の出る計算を勉強しました。

現在、九九の暗誦は八の段に入っていますので、ホワイトボードの左隅に「8×1=8」から「8×10=80」までが書かれています。そして課題ですが、常に使用しているカラーボールを今日は「8」にして、ホワイトボードに『大きく書かれた数字の中にカラーボール(8)が幾つあるか?』という問題で、割り算の計算です。

実際にこの課題を行なってみて驚いたのは、九九の暗誦は暗記するだけで『○○が幾つ』という掛け算の根本が抜けてしまったということです。従って40と大書きして出題してみるとバラーボールを幾つ空カゴの中に入れて良いのか分からないのです。ホワイトボードの左隅を見れば答えは書いてあるのですが、その意味が解らなければ答えを出すことは出来ません。しかし何度もこの問題の意味を説明しながら出題を繰り返して行くと、やがて団員全員が正解を出せるようになったので、今度は『余り』が出る問題です。大きい「8」のカラーボールの他に、小さい「1」のボールたくさん用意しました。

そしてホワイトボードに45と大きく書き、『この中に8が幾つある?』という問題に

しましたが、最初は全員が『????・・・』となってしまいました。つまり、『45八の段にはない』という答えになってしまったのです。

もちろん、余りの出る割り算を勉強したのは今日が最初ですからボールを一つずつ数えながら勉強し、全員が理解出来るように努力しました。そこでこんな宿題を出しました

【宿題】

8名の団員、弥惣兵衛、松吉、武、名主、正房、三郎兵衛、千蔵、喜作がいます。

おやつにリンゴが17個、バナナが26本、スイカが2個あります。

みんなで(公平に)分けて下さい。残してはいけません。

誰が何を幾つ貰いましたか?

さあ、みなさんはどのようにお考えでしょうか?

スイカ以外は切り分けしませんが、実際にさくらの団員やさくらの作品をご存知出ない方には正解は出せない問題だと思います。

実はこの問題を解くには『折り合いを付ける』という情緒の高さが必要です。『ものを分け合う』という行動は人間特有の行動ですが、その中でも『個人差を理解して分ける』という行動は小学校後半からの情緒の行動だとされています。

つまり『体力の強い者が重い物を持ち、体力のない者が軽い物を持つ』というような行動を指し、そこには価値観が生まれます。

人間の『無邪気さ』は幾つになっても持っていたいものです。しかし、幾つになっても『幼稚』では困ります。特定の弱い人を取り囲んで『苛め』、『葬式ごっこ』のような『見立て遊び』を喜んでやっているようでは『情緒年齢』としては『幼稚園レベル』で

『無邪気さ』と『幼稚さ』を混同しているような現代の教育環境に疑問を感じますが、知的障害者であっても常にバランスの取れた発達を願い、少しでも『情緒年齢』を上げる勉強は必要です。従って割り算の課題も『余り』はどうするか? という価値観を伴った指導でなければ計算だけの数字だけが独り歩きしてしまいます。

今日はその他に『状況を知ること、そしてその状況を相手に言うこと』という対話の基本となる訓練も長時間行ないました。一般的に彼等との対話は彼等が主導で、こちらからの話しの内容を理解した対話には成り難いのが普通です。しかし、演劇は主に対話によって成立していますので『成り難い』では困ります。

演劇では非常に重要な問題なので、その訓練の様子は次回報告します。

  稽古日誌(7月30日)

       『受けること、裏打ちすること その3

今日も猛烈に暑い一日でしたが稽古場をお借りしている会場のご好意で冷房を入れて頂き、御陰さまで涼しく稽古をさせて頂きました。

さて、先週の稽古の続きですが、先週と同じように椅子を並べ、その上にカラーボールを置き、正面のホワイトボードにタッチする夫々のコースを書きました。(詳しくは先週の稽古日誌をご覧下さい)

今日の稽古は前回のように指示されたコースの順にボールをタッチするのではなく、タッチの代わりにボールを持ち上げながら色の名前を発声します。(例えば、1番のコースが赤→青→緑→白→黄色の順だとすると、一列目は赤のボールを選び、ボールを持ち上げながら『あか!』と発声し、2列目は青を選び『あお!』と発声します。以下3列目が『みどり!』で4列目が『しろ!』で5列目が『きいろ!』となります)

この稽古の目的は1番目に『語尾落ちを防ぎ、語尾を持ち上げる』こと。そして2番目には「ボールを持ち上げながら発声する」ことで、「語尾が次の目標を得る動作になる」ことから、『語尾で次の動機を得る』という目的を持っています。

実際にこの訓練を行なってみると全員がはっきりした発声に変わります。そして全員の動きがスムーズになったことからも『次の動機を得る』ことが容易になったことを示しています。

一般的に彼等のような障害を持った人達の行動上の欠点として『一つの行動から次の適切な行動への移行が緩慢になる』ということが上げられます。(もちろん自分勝手に行動している時ははっきり表れませんが・・)また、一つの行動の直後にだされた新たな指示に反応が弱いことも多く見られます。何故そうなってしまうのでしょうか?

その元をたどって行くと、一つの行動の終わりが必ず『落ちて終る(言葉の発声なら語尾落ちですが)』形であることが窺えます。つまり、行動をエンジンとすれば『終わりはブレーキではなく、スイッチ・オフとなっている』ことが分かります。

言葉の単語を拍で数えれば『あか』の『あ』は表拍であり『か』は裏拍になりますが、この訓練では表拍の『あ』でボールを持ち、裏拍の『か』でボールを持ち上げるので結果として裏拍が強調されます。(頭打ちではなく裏打ちですね)

こうすることで語尾が持ち上がり、持ち上がった所(語尾)で次の行動の『動機(企画)』が起るので次の行動がスムーズになったのです。

実はこの訓練にはまだ『語尾の母音取り』という続きがあって、単語の最後の母音を聞き取る訓練も行なっています。

一般的でないにしろ『欧米人は子音を左脳、母音を右脳で聴くが、日本人は言語を左脳で聴いている』と言われています。もし、このことが実証されるなら「日本人は言葉によって行動を起こしやすい」ことになってしまいますが、そうでないにしても『母音を右脳で聴く』ことは彼等が『バランスの取れた行動をする』ためには重要なことです。

この『語尾の母音取り』の訓練は、前記の訓練と設定は同じで今度は取り上げたボールの色を発声するのではなく、予め母音のボールの色を決めておき(『あ』は緑、というように)指示された色名の最後の母音を探して、指定された母音の色のボールを持ち上げながら指示された色名を発声するというちょっと難解な訓練です。(例えば、指示されたボールの色が『あか』の場合は、母音『あ』の緑のボールを探し、緑のボールを持ち上げながら『あか』と発声します)

もしかすると健常者でもこの訓練は難しいかも知れません。しかし、劇団員たちは多少ゆっくりですが、全員出来ます。そして発声も語尾がしっかり響くようになりました。

このように彼等の『行動』に対する訓練は、かなり効果的な結果となりました。でも、

この訓練が定着することはもっと大変です。今後も試行を重ねなければなりません。

  稽古日誌(7月23日)

      『受けること、裏打ちすること その2』

今日の稽古場は暑かった! ここ何日か涼しい日が続いていたせいでしょうか、暑さが一段と厳しく感じます。節電の夏ですから稽古場をお借り出来るだけでも有難いのですから贅沢は言えません。全員が汗だくになっての稽古になりました。

何時もの通り最初の歩行から始まりましたが、先月からの『歩幅を広げる』訓練の成果でしょうか、全員が実に堂々とした歩行に変化してきました。

『歩行訓練』の間に椅子を横に5脚ずつ縦に5列、合計25脚の椅子を並べてその上に1つずつ5種5色のカラーボールを無作為に載せました。(夫々の列に5色があります)

そしてホワイトボードに5種類のコースを書きました。(例えば、1. 赤→緑→黄→白→青、というように5種類の異なるコースです)

さて訓練ですが、最初は縦に指定されたコースのボールを走ってタッチして来るだけの訓練です。初めはルールに慣れるために一人ずつ行ないましたが、いちいちホワイトボードを見て色を確認するので、走るどころかどのコースかさえ混沌としてしまいました。

本当は普段から団員達はカラーボールを使い慣れているので、5色位即席で覚えられるのですが、書かれた方に『拘り』が強いのですね。仕方ないのでホワイトボードをコースの前方に置き変えました。

そして今度は一度に2名ずつ同時に行ない、3名ずつ行ない、最後は5名が同時に異なったコースをタッチしながら走る訓練にしました。(最終的には2回連続で訓練しましたが、この場合1回目と2回目は異なるコースを指示されるので、走る前にコースを暗記しておかなければならなくなります)

何故、このような訓練が必要か? 答えは簡単です。演劇では登場人物全員が『異なった役割(目的)を持ち、異なった動き(行動)をする』からですが、これが健常人でも難しく、養成所のような所では「全員が同じ方向見て、全員が同じような動きをし、同じような台詞」を言っています。全員が異なった目的を持って、異なった行動をしなければならないことは理解しているのですが、実際にはこれを同時に行なうと、みんなが同じようになってしまうのです。

今回の訓練では結果として『目的に向って仕事をこなしながら走る』というところまで到りませんでしたが、大きな原因は『作業を行なっていると目的・目標を見失ってしまう』ということにありました。

私は訓練の途中、何度も『ホワイトボードから目を離すな!』と怒鳴り、『ホワイトボードを見ていてもボールは視界に入っているはず、視野を広げなさい!』と指導しましたが、やはり彼等にとっては相当難しいようでした。

実は、この訓練は別の問題として『頭打ちの行動を修正する』という課題のために行なったものです。従ってこの訓練はこれで終わりではなく、次の訓練として『指定されたボールの色を取り上げ、頭上にかざしてボールの色名を発声しながら先に進む』という訓練も続いて行ないましたが、この訓練は彼等の『頭打ちの行動を修正する』だけでなく、若い役者や役者の卵達にも欠けている『重要な発声訓練』となる『裏打ちの発声』ともなっています。

一般に確実を期するために『裏を取る』という言葉がありますが、彼等や役者の卵達が『一途に先を急ぐ』だけでは大成はなりません。重要な問題なので、来週も同じ訓練を行ないます。詳しいご報告は次回にします。全員が汗びっしょりの稽古でした。

  稽古日誌(7月8日 /9日)

        『受けること、裏打ちすること』

今週は日曜日(8日)月曜日(9日)と2日続きの稽古になりましたが、いつも使わせて頂いている会場が改修に入った関係で場所を変えての稽古になりました。

日曜日の稽古。いつもの通り私が稽古場に入ると、既に稽古を見学される方が来ていました。とても元気な小学校2年生の女の子(ダウン症)とご両親です。

生憎今日は日曜日だったので欠席者が多く、芝居の稽古にはなりそうもなかったので、この「小さな訪問者」にも参加して頂いて、基本訓練の最初から稽古を行ないました。

最初は『ボール追い』です。指導者が投げるボールを追いかけて取ってくる訓練です。

犬が投げたボールを取って来る訓練に似ていますが、犬の訓練と違う所は『ボールがテンポ良く、次々に投げられる』ことで、うっかりすると他人のボールを追いかけてしまいます。普段の稽古でも全体的に動きが重い時によく行ないますが、再度高揚性を得るためにリセットの意味が含まれています。

この稽古は「小さな訪問者」のお気に召したようです。ぎごちない走り方ですが、一生懸命にボールを追い掛け、彼女にしては大きなボールを拾うと、またボールを投げてもらうためにニコニコしながら指導員の所へ走っていました。

次は『視点』の稽古です。2人1組になって行なう稽古なので、親と子、指導員と団員、という組み合わせになれば『愛着』の稽古でもあります。親子の場合は、ボールを持った親が任意の方向で『視点』を置きます。子は親の視点がどこにあるのか探して親の視点に入ります。親は子が『視点』に入ったらボールを視点に投げて上げます。そして子は受け取ったボールを親に投げ返しますが、親は間髪を置かずに新たな視点を作ります。

この稽古で彼等には苦手ですが演劇には大切な『相手の目を見る』ことが出来るようになります。しかし、今日訪れた「小さな訪問者」はこの稽古にも臆することもなく、元気一杯ニコニコしながら稽古を楽しんでいるようでした。

この後は『歩幅の広い歩行』の稽古です。歩幅は長棒を何本も並べてその間を一歩ずつ(ワンステップ)確実に歩く稽古ですが、一般的に彼等は上体が前に押し出されにくいので、どうしても歩幅が狭くなります。そこで、上体を前に押し出さなければ1歩では到底無理な幅を棒で仕切って稽古していますが、ここでも「小さな訪問者」は指導員に助けられながらですが、何度も8本の棒を渡り切ってご両親から拍手を貰っていました。

そして最後は『発声』ですが、その前に宿題の時間です。今、宿題の出題者は弥惣兵衛と正房ですが、二人はホワイトボードに書いた宿題のプレゼンテーションを行ないます。

団員達は床に腹這いになったり、胡座をかいたりと自由な姿勢で自分の宿題ノートに宿題を書き写します。ここでも「小さな訪問者」は腹這いになって貰った白紙に何やら一心に書いていました。全員が書き終わった頃には彼女の白紙は文字で一杯になっていましたが、ご両親の言う通り、書くことが大好きで実に楽しそうでした。

劇団さくらでは常に『読み・書き・そろばん』を行なっています。演劇には『工夫する』ことが必要なので義務にしているのですが、そのことをご両親に説明すると『レベルが高い!』と驚かれていましたが、別にさくらは全員のレベルが高いわけではありません

毎回、行なっているので少しずつ勉強することに抵抗がなくなったのだと思います。

さて、発声の稽古ですが、さくらは劇団ですから発声の訓練は様々に行なっていますが、
そのどれもが『発達上の機能促進』、つまり『力み』などの無理な発声から『構音のシステムを考えた自然な発声』へと訓練しています。(方法はご見学下さい)

所で、「小さな訪問者」ですが、ここでも団員に混じって実に楽しそうに稽古していましたが、ふと気が付くと驚いたことにとても奇麗に澄んだ発声だったのです。ダウン症の発声というと既成の概念が働いてしまいますが、明るい彼女には全くその影もありませんでした。もしかすると『天才少女』かも知れません。そう言えばピカソは『こどもはみんな天才だ』と言ったそうですが、この『天才少女』に今後とも『正しい教育』を与えてあげて欲しいと切望します。一生勉強を続けることがこの『天才少女』を価値の高い人になることだと私達は考えています。

『天才少女』は再会を約束して手を振りながら帰って行きました。

7月9日の稽古は前日と場所を変えての稽古になりました。

何時もの通り、稽古場の準備や九九の暗誦、開始時間までの自主稽古などがあった後、稽古開始のあいさつがあり最初の歩行練習となりましたが、何となく歩行の乱れを感じた私は発声訓練の終った後に、こんな稽古を行ないました。

ホワイトボードに『やそべえ(弥惣兵衛)、まさふさ(正房)、とくべえ(徳兵衛)、せんぞう(千蔵)』と書きました。作品の登場人物ですが、これをひらがなで文字数を数えればすべて4文字ですが、これを2/4拍子に当てはめると全て8分音符になります。

そこで裏拍に手拍子を入れながら発声を行なう発声練習を行ないました。(やそべえ、なら、そとえに手拍子を加える稽古です)ゆっくりやればそれほど難しいことではないと思われ勝ちな稽古ですが、意外に苦労する稽古になりました。

一番多い間違いは手拍子が裏拍ではなく、表拍になってしまう間違いです。しかしこれは彼等だけでなく、日本人は古くから表拍で手拍子を入れる習慣がありますから彼等特有という訳ではありませんが、この『裏拍に意識が持てない』という欠点はそのまま言葉として『頭打ちと語尾落ち』となり、全体として詰まった言葉になってしまいます。

一般的に彼等が話す普段の言葉は聞き取りにくい場合が多く、最初は会話にも苦労しますが、彼等が台詞を勉強することでかなり改善します。これも演劇の効用なのかも知れませんが、取り敢えず何事も『頭打ち、語尾落ち』しないように、今後もこの『裏打ち』の稽古を続けなければなりません。

 稽古日誌(7月2日)

        『しっかり聞いて、しっかり答える』

今回は、先週の『話しを聞かずに行動する傾向が少し見えてきた』ことに対する指導が中心の稽古になりました。

最初は『自分で判断しないで他人に付いて行ってしまう』こと、つまり自動的な行動に対する訓練です。いつもの歩行訓練で、今日は稽古場に貼ったABCDEの横のラインを上手から下手に行く時だけ夫々が違ったラインを歩く訓練をしました。

列の先頭はリーダー弥惣兵衛ですが、弥惣兵衛が任意で決めて歩き出したラインを基準として他の団員が自分の歩くラインを判断して歩く訓練です。(例えば、弥惣兵衛がCラインに入ったら他の団員はDECDECDEの順にラインを歩きます)

何度もこのページで書いていますが、人間の基本は『個体維持』ですから『身勝手』で当然です。彼等も同じ人間ですから彼等の考えも十人十色です。『前の人から遅れないで歩くことが正しい』と思っている人、『自分が正しいと思ったラインを歩くのが正しい』と思っている人、『前の人が間違っていて自分が正しい』と思っている人など多種多様です。では、どうしたらこの訓練が成立するのでしょうか?

答えは『立場』です。私達指導を行なう者を除けば今この稽古場にいる団員達は『指導を受ける立場(教わる立場)』で共通しています。従って彼等が共通して『指導者は教える立場だから、自分はそれを見習うのが正しい』という『絶対視』が形成出来れば、この訓練は成立します。

この歩行訓練の始めは、夫々が『自動的に歩く』感じで『自主性より身勝手な歩行』に映ります。しかし回を重ねるごとに『訓練の意味』を知って、全員が『ものを教わる者の姿勢』に変化して行きます。勿論この段階では視覚として『物事を企画する目付き』には至っていませんので、中には『前の人が間違えば自分も間違える』という自動運動に似た歩行も見られますが、この状態でも『企画された意志的な行動』に見えます。

もう一つ今日は『はっきり答える』という稽古を行ないました。

演劇の台詞は書かれていますので、うっかりすると前の台詞をしっかり聞かずに自分の台詞だけ『身勝手』に言ってしまいますが、台詞の対話は『応答』ですから、必ず他人の台詞を良く聞いて『しっかり答える』必要があります。その稽古ですが・・・。

ホワイトボードに(1. 白)、(2. 青)、(3. 赤)、(4. 黄)、(5. 緑)と書きました。

そして稽古場の下手にカラーボールをたくさん入れたカゴを用意し、団員たちを上手に集めました。ルールは番号で指示したボールを指名された者が取ってくることです。

この場合の台詞としては、指導員に指名された時に指名された者が『はい!』と返事を

します。そして指導員の指示『○番!』を聞いて、了承の『はい!』があります。

指示されたボールを取ってきて、指示した指導員にボールを渡して報告します。

(ボールを渡して)・・・・・・『はい!』・・・・作業終了の確認です。

(指示者の顔を見て)・・・・・『白い / ボール / です』・・・作業の報告です。

この稽古で、省略されて演劇的にも問題になる個所は、最初に番号を指示された時に

『ホワイトボードを見て、作業を確認してから了承の返事をする』ところ。また、その直後に『ボールの有る所を確認してから走り出す』ところ。そして最後の『白い、ボール、です』と、『一つひとつを確認しながら報告する』ところなどです。

このように問題になる個所はうっかりすると、『全て確認することなく行動が流れてしまう』という『自動運動』になりやすい所です。『指示されただけで確認もなく返事をしてしまう』『ボールのある所を確認しないまま走り出してしまう』ことなどですが、大きな問題として、その都度確認を省略してしまうと最後の報告の台詞も一つひとつを確認しながらの『台詞』の発声もはっきりしないまま流れた発声になってしまいます。

この稽古は『しっかり聞いて、しっかり答える』という台詞術としても基本的に重要なことなので、次週もこの稽古が続きます。

 稽古日誌(625日)

          『行動の自動化』

最近、また指導の話しを聞かずに行動する傾向が少し見えてきました。『今、先生は何と言った?』と唐突に質問すると、目をキョロキョロさせて口籠ってしまう人がいます。

また『オウム返し』の強い人はこんな時『何と言った? 何と言った?』と繰り返してしまう人もいます。勿論一部の人ですが、なぜこんなことが起ってしまうのでしょう?

通常、健常者と言われる人達はこんな時『あっ、聞いていませんでした』とか『すみません、考え事をしていました』と答えると思いますが、彼等の場合ちょっと違うように感じます。実際にこのような人の場合、「聞いていなかった」というより「まったく聞こえなかった」というように見えます。つまり、自分の世界に浸っていたということになります。しかし、現実には皆と同じ(ように見える)行動を行っている最中なのですから『自分の世界に浸っていた』では困ります。そこでこんな課題を出しました。

全員カラーボールを持って4人1組になり、正方形に立ちます。どちらか一方に向いあって相手とボール交換をしますが、正面を「グー」、斜めを「チョキ」、横を「パー」と決めて、出題された順番とリズムに合わせてボール交換をします。

最初は1通りの課題で、ホワイトボードに『グー・チョキ・パー』と書きました。

どのチームもリーダー格が中心になって『グー!チョキ!パー!』と声を出し、リズムに合わせて行きます。やがて全員が慣れたところで課題を変えました。今度は『チョキ・パー・グー』です。最初の課題で方法は理解出来ているはずですから順番を覚えるだけで簡単なはずですが、これだけで色々な問題が出て来ました。ただ単純に順番を間違えるだけなら良いのですが、問題は交換するボールのコントロールが悪くなったのです。

交換するボールがぶつかってしまったり、相手が取りにくいボールを投げてしまったり、酷い時は4人全員がボールを拾いに行く始末まで起こりました。そして何より問題なのは『チョキ・グー・パー』の声を出せなくなった人が居たことです。

さくらは劇団ですから全員が台詞の暗記は義務になっています。全員が入団当初は台詞を暗記するのに苦労します。そして今でも『自主練習』では壁に向って自分の台詞を発声している団員もいますが、過去にはその義務を果たせなくて退団した人もいます。

こんなに大切で苦労する台詞ですが、私が一番恐れているのは『台詞が自動化する』ことです。台詞は『ある状況』で『何かを感じた』ことから『感情の動き』が起り、『それを言葉で説明する』ことです。「台詞に心を込めて」等と大間違いなことをされたら演劇になりません。その理由は『自分勝手な自動化した台詞はコミュニケーションとして成立しない』ということにあります。

課題の話しに戻しますが、何故ジャンケンの順番を変えただけでボールのコントロールが悪くなったのでしょうか? 答えは『行動調整機能』と『運動の自動化』にあると思います。つまり、簡単に言えば『頭で理解していても身体が言うことを聞いてくれない』という状態です。普段私達は運動の殆どを観念として自動化しています。脳と運動機能の関係が『この時は?』『こうします』と運動の自動化であっても正常な関係を保ってくれれば良いのですが、『この時は?』という企画が遅れ『こうします!』という勝手に自動化された運動が先に出てしまったら大混乱になります。そしてもっと具合の悪い事に『こうします!』と運動を起こしてしまった瞬間やその直前に『しまった!』とか『??!』を感じてしまうことです。

人間は同時にたくさんのことを考え、たくさんの行動をしていますから『慣れ』という部分で自動化は必要ですが、脳が指令することとして行動の『企画』『実行』『コントロール』が成されなければとんでもないことになってしまいます。

知的障害者でもある彼等は現状として『健常者の言うことを理解し』『健常者が考える行動をする』ことが求められています。そして、その後に彼等の自由はあるべきです。

今の日本にはカルチャーとして『参加する人が楽しいプログラム』が多過ぎます。『楽しいこと』は趣味として大切なことは理解できます。しかし、プロと言われる人達の『楽しむ』ことと趣味としての『楽しむ』ことは、前者が『高揚性』を求めているのに対して後者は『くつろぎ性』を求めていることからも内容としては丸で異なっています。

本来はプロを目指す音楽や演劇の学校や養成所のような所までも『楽しませる教育』が横行している感があります。(人口減少のためでしょうか、生徒を減少させないためには仕方なのかも知れませんね。しかし、これでは技術レベルが上がるはずはありません)増して、彼等のような障害を持った人達は『健常の人達と共存共栄』できるようにならなければなりません。同じ障害を持った人達と楽しんでいる時間は限られるはずです。

『快感は完結型』であることを念頭に、日々健常者と共存共栄するために勉強することを彼等は努力しなければなりません。そして後にそれが『認められた』時、共に楽しみ

共に喜ぶ『高揚性』が待っているはずです。上から目線で褒められても彼等が成長するとは考えにくいのです。彼等が起こす行動の一つひとつが健常者に認められて行くことが重要だと私達は考えています。

今回も次回も彼等本位の『自動運動』を修正する稽古が続きます。

稽古日誌(618日)

           『分けること』

先週行った稽古から『分けること』の報告を先にします。

この稽古は以前にも行っているのですが、今回は以前の復習とより難しい課題に挑戦するために行いました。最初の課題は復習です。

前回までの課題は【10人のメンバーが横に並んでいます。その中の1人が指名され、2つのグループに分ける】という課題でしたが、(例えば4人と6人に分ける場合は、4人目と5人目の間の間隔を広げることです)この課題の主たる目的は『どちらかに自分も入る』という『自分の存在』をテーマにしていました。従って、2つのグループをどこに作っても良く、お互いが見える位置にグループを作って自分も入るようにしていましたが、今回の『分ける』作業のテーマは『対比』を作る作業ですから横一列を変えることは出来ません。(4人目と5人目の間に切れ目を入れることと同じですね)

結果として、この段階の訓練は全員がクリアーして前回までの訓練が定着していることが分かりました。(全員が数を数えながら最初の数字の後を広げ、最後に自分が並んで数字を言うという確認方法を行っていました。非常に論理的で感心しました)

さて、今回の課題は『対比』ですから数という量だけでなく、質も考慮しなければなりません。(グループの数に合った多数の飴ならば簡単な掛け算や割り算で分けられますが、数の合わない多量の飴に饅頭でも加わったら大変です。パニックになりますよね)

最初にリーダーの弥惣兵衛に対して「10人のメンバーを3つのグループに分けなさい」

と出題しました。さあ、この割り切れない問題を彼はどのように答えたでしょう?

弥惣兵衛の答えは『3人ずつ、3つのグループに分け、自分が列から離れる』という

回答でした。つまり「10割る3は3人ずつで余りが1だから自分が余りになる」という考え方ですね。しかし、これではリーダーとしての役目が果たせません。つまり質的な問題です。そこで弥惣兵衛に質問しました。『3つのグループに分ける問題だから余りがあっては間違いだね。それにこの「3人ずつ」で同じ仕事が出来るかい?リーダーだったらどのグループを助けるかな?』もちろん、仕事の内容や稽古の内容によって団員の能力差は異なりますのでそれぞれの優劣は付けられませんが、どうやら弥惣兵衛は団員の体力差で考えたらしく、一番体力がなさそうなグループに自分が入り『僕がここに入ります』と答えました。正解です。

このように今回の問題は『数の上で均一に分ける』ではなく、『質的に考えて均一に分ける』ことが課題になりますが、これは彼等特有の『数は絶対的であり、数の計算のためだけにあって実生活に応用できない』ことを解消しようとする試みです。

大きな饅頭1個が小さな飴いくつに相当するかは彼等の判断によりますが、饅頭1個と小さな飴1個が同じでは不公平が生じます。同じように「重い荷物を体力のある大きな男子3人で運ぶのと体力のない小さい人ばかり3人で運ぶのでは不公平」と分かることは彼等でも必要です。情緒の発達として考えれば『絶対視』を卒業して『折り合いを付ける』という、現状を考慮できて『正しい協力』が出来るようになって初めて『社会のお役に立てる人』になれると私達は考えています。

劇団さくらの団員たちは『障害者には難し過ぎることばかり訓練している』と皆様には思われるかも知れません。しかし、実際には彼等は少しずつ成長しています。『自分が誰であるかを知り、自分の立場を知り、遠い未来に目標を持って歩み続ける』ことが必要であることは社会一般の健常者と言われる人達と全く変わりはありません。

私達は多くの同じ障害を持った人達のご参加をお待ちしていますが、同時に多くの健常者の方々が彼等の成長について真剣に研究されることを熱望しています。

(今週は『行動の自動化』を防ぐための重要な稽古も行いましたが、またまた紙面が足りなくなってしまいました、次週にお知らせします。

稽古日誌(611日)

          『聞くこと 分けること』

今日の稽古のテーマは『聞くこと』と『分けること』です。

最初の『聞くこと』ですが、一般的には『聞く』ことは次に起る『答える』または『応える』ことを前提としています。しかし、知的な障害を持った人達の多くは必ずしも『聞く』ことが『答える』または『応える』形で結果が表れるとは限りません。

『言われたように素直に動く』の場合でも、聞いたから『勝手に動いた』のかも知れませんし、『名前を呼ばれたら素直に返事をする』でも、名前を呼ばれたので『反射的に返事』をしたのかも知れません。何故なら『素直に動く』ことが出来るのは何度も行っていて慣習化した場合が殆どで、名前を呼んで『素直に返事』をしても次の言葉に反応が悪いことが多いからです。劇団さくらで恒例になっている最初の『歩行訓練』も、うっかりすると『音楽を聴いていない』『前の人について歩いているだけ』になっているのかも知れないのです。
先週に続き『数本並んでいる棒を踏まないように歩く』歩行の訓練をしました。棒の間隔は普段彼等が歩く歩幅よりかなり広くしてあります。先週行っている訓練なのでもう少し楽に出来るかと思ったのですが、意外に苦戦していました。

そこで演技指導の夏川が一人ずつ指導しながら歩いてみると全員が確実に出来たのです。(先週稽古してできたことですから出来て当然なのですが)それではと、今度は指導なしで一人ずつ順に歩かせてみると、今度は約半数にぎこちなさが表れました。(棒を跨ぐ時に右足だけ高く上げてしまったり、一歩ずつが2度踏みになってしまったことなどです)何故このようになってしまうのでしょう?

これは彼等の意識の問題なのではないでしょうか。つまり、この訓練の『棒という障害物を跨いで歩く』という普段にはない不得手な運動を『学ぶ』という意識なしに『自分で越える』という運動にしてしまうと、その人が持っている障害が表れやすいということを表しています。だから彼等の前に障害物を置いてはいけないんだと言えばそれまでですが、試みに『これは勉強だよ!』と一人ひとりに確認させると、今度は全員が『正しい歩行』になるのです。

この段階ではっきりしたことは、彼等が『指導や注意を聞いているか?』または『指導や注意を聞けるか?』という問題が、彼等の能力を上げる指導では一番大きな問題だということになります。

巷では彼等のような『障害者を楽しませる』プログラムやイベントが氾濫しています。

しかし、彼等が自分流に楽しんでしまっては『自分流の障害』を強めてしまいます。

彼等は『常に正しいことを学んでいれば正しいことが出来る』ことを健常者の皆さんが

知って、彼等のために『能力を上げるための正しい指導』をして上げて欲しいと私達は熱望しています。

彼等が楽しむこと、つまり『快感情』は完結型で持続性はありません。従って、毎回『快感』を求めてしまうのです。(パチンコ中毒や麻雀中毒、ゲーム中毒などと同じです)

一方『不快感情』は持続性があります。(だからストレスになってしまうのですが)

では、彼等はどうしたらいいのでしょうか? 答えは健常者と同じにすれば良いのです。
勉強は『解らない』という『不快感情』から出発し、『解った!』という『快感情』で完結します。人間は『不快』から『快』へ進むことで毎日前に進んでいます。そしてこのことが『文明の発達』を促すことになっています。これは彼等であっても誰であっても人間である以上変わりはありません。

彼等は障害のために健常者以上の負荷を常に持っています。当然ストレスも強いはずです。だからと言って何も出来ない彼等の活性化を図るために『楽しさ』だけを求めたプログラムを与えて良いとは言えません。何も出来ないとしても真剣に能力を上げる勉強をして、少しでも『出来た時の快感』を獲得させて上げることが彼等の負担を軽くし、人間としての『退行』を防ぐことにもなるのです。皆様のご理解を賜りたいと思います。

今日は『聞くこと』の訓練の外に『分けること』の訓練も行いました。これも『良いことと悪いことを分ける』というように、普段彼等が不得意にしていることですが、この訓練でも考えさせられることが沢山ありました。

紙面の都合でその報告は次週に致します。

  稽古日誌(6月4日)

          『演劇の発声 その2』

諸般の事情で2週間稽古がお休みになってしまいました。

久し振りの稽古だったので今日は重いかな?と思って稽古場に出ましたが、団員達は普段と変わりなく、実にしっかりと準備をしていました。彼等の能力がかなり定着してきたことを証明しているようです。

最初の稽古は『歩行』です。歩くことは演技では最も基本的な所作(動作)です。(プロと言われる人達でもあまりにも普通の行動のせいか、多くの若手に舞台での役を意識した『歩き』は見られないのは残念なことです)

劇団さくらの『水怒り』では大きく分けて「幕府の役人」「地方の役人と名主」「農民たち」の三つに分かれます。従って、歩くテンポが同じでも役者なら歩幅が違って当然なのですが、残念ながら彼等は障害を持っていますので常に訓練していないと『役より障害』が見えてしまいます。今日の訓練は、いつも稽古している歩行のコースに「普段より歩幅を広げる」目印に何本も棒を並べて「棒を踏まない」で歩く訓練をしました。

今日の稽古は普段よりずっと広い歩幅を必要とするので、最初は棒で指定された歩幅で歩くことが困難のようでしたが、時間が経つに従ってテンポに合わせても歩けるようになりました。(実はこの訓練には彼等に『前進する力』を獲得させる内容を持っています。普通の人でも同じ稽古をしたら前の棒が気になって変則的な『跨ぐ』歩行になってしまうでしょう。しかし、この歩行に必要な『力とコントロール』は後ろ足が担っており、前足が『棒を跨ぐ』ではありません。『前進』とは「前に乗出す」ではなく、『前進するため』の後ろ足の『蹴り出し』や上体の『せり出し』が正常に行われることです。

つまり、上体と下肢が前進するための正常な『回転』と『伸び』が必要だということになります。『回転』について関心の有る方は劇団にお問い合わせ下さい)

次の稽古は2人1組で間隔を広げて立ち、お互いにボールを持って『ボールを交換しながら名前を呼び、返事をする』稽古です。

全ての演劇で対話とは『相手の気に応じる』ことです。(役者論語「全ての藝者は相手の気に応じるを第一とす」より)つまり、相手の言葉を聞いて初めて返答が起こります。

(役者論語「相手の詞を聴き、初めて返答心に浮かぶ」より)

しかし、演劇の場合は予め自分が言う言葉(台詞)は台本で決まっていますので、『相手の気に応じる』こともなく、自分の想いだけで自分の台詞を大多数の人が言っています。これは大変困った状況で、それが日本の大多数の演劇の現状だと言ってしまえば

それまでですが、それが知的障害者や人格障害者であったら大変なことになります。

つまり、相手がどうであれ『自分勝手に行動してしまう』ことに繋がるからです。

前にもこの稽古日誌で書いた通り、人間の誕生は『個体維持』のためです。従って『他者との共存共栄がなければ個体維持は出来ない』ということを実践出来なければ『身勝手』のままです。『相手の気に応じる』とは『相手がどのような気で来ても共存共栄のために応えられる』ことを指しており、『身勝手』のままではコミュニケーションの産物である演劇は本来成立しない筈なのです。(勿論、共存共栄は肯定だけではありません。共存共栄するために否定することもあり、この場合は「相手に対して自分の考えを主張する」という形で表れます。しかし、結果としてこれが出来ないと演劇も単なる「学芸会」となってしまうのですが、それに気付いている人が少ないのも残念なことです)

劇団さくらの稽古の話しに戻ります。

この訓練では『名前を呼ぶ側』も『呼ばれる側』も同時にボールを投げます。

『名前を呼ぶ側』の人は、自分の投げたボールが『相手に届いた時に』相手の名前を呼びますが、その時両方の人が同時にボールを投げるので、『呼ばれる側』の人も自分の投げたボールが『相手に届いた所』を見ていなければなりません。

そして返事をする時も、両方が同じように『自分の投げたボールが相手に届いた所を見る』ことが出来なければなりません。

この訓練が完全に出来ると『相手がどのような気で名前を呼んだか』が理解でき、次に『相手の気に応じた返事』が出来ることになります。

この訓練で一番起り易いミスは『自分の投げたボールより、自分に来るボールの方を見てしまう』ことですが、これは『自分はどのように相手の気を読んでいるか』『自分が相手に対してどのように応えているか』という肝心なことが不成立になっていることを表しています。

役者論語にも『(今の役者に)(相手が台詞を言う間)休んでいる藝者多し、良からぬ事にや。(中略)とかく台詞を言う相手の顔を良く見ているか、耳をそば立て、聞いているが良しと言へり』と書かれています。

役者だけでなく、一般の人、増して知的障害者や人格障害者にとって『全て相手の気に応じる』ことは、人間が共存共栄するために最も重要なことではないでしょうか。(『相手の気に応じる』演技法はミュージカルランドでも指導しています。若手の演技者や演技者志望の方はお問い合わせ下さい)

 稽古日誌(5月14日)

          『演劇の発声 その1』

今日も『台詞術』が中心の稽古です。

一般的に(もちろん例外の人はいると思いますが)ダウン症の人が演劇を意識して発声した時はとても弱く、全体的にこちょこちょしていて客席からは何を言っているのか判然としません。まあ、これが障害だと言ってしまえばそれまでですが、劇団さくらの作品では全員が健常者の役で、客席に多くのお客様を入れての公演を行う以上、障害者だからと言っても通らない言い訳になってしまいます。従って、当然そのための稽古を行っていますが、今日はそのための基礎訓練を行いました。

【声量訓練】

最初は舞台で使えるしっかりした声量を出す訓練です。ダウン症の人を始め、障害を持った人には声量の弱い人が多くいます。そのための稽古ですが、次のように行いました。

指導する演技指導の夏川と団長が直径40センチほどの衣類カゴを持ってAライン上に

立ちます。団員達は全員稽古場奥のFライン上に並びました。AラインとFラインの距離は約5.5メートルあります。指導員が団員にカラーボールを投げ渡します。つまり『そのボールは何色ですか?』という意味ですが、ボールを受け取った団員は、指導員のカゴを目掛けてそのボールを下から投げます。投げたボールがカゴに入った瞬間に『黄色!』などと跳ね上がるように発声しますが、(この発声を劇団では『立てる』と呼んでいます)失敗してボールがカゴに入らなかった時は自分でボールを取りに走って、

ボールを持ったまま次の順番を待ちます。

結果として成功した時は、実にしっかりと遠鳴りした発声が得られましたが、何故でしょう? 要因として考えられるは、先ず『視覚』です。人体の幅ほどのカゴを目掛けてボールを投げるのは『相手を視点で捉える』ことになります。そして次は、カゴまでの『距離感』です。ボールをカゴに投げ入れることもそうですが、カゴにボールが入った瞬間に発声することは距離感がなければ出来ません。そして最後は、失敗してもボールを持って順番を待つ間の『企画性』です。失敗したら『次はどう入れようか?』と考えるのは誰でも同じです。肝心なのは『どう発声しようか?』などと考える人はいないと

いうことです。『入った!』と思った瞬間に発声していることは『発声に力みがない』ことも表しています。

この他にも『ボールを下から遠くに投げる』ことで身体が解放に向い、発声を容易にしていることなど要因は多数考えられますが、これによって障害があっても『必要な声量が得られる』ことは確かなことです。

劇団さくらの団員達全員が、この距離からボールを投げて小さなカゴに入れられるようになっていたことに改めて驚きましたが、良い指導であるか悪い指導であるかは結果としてはっきりと現れます。指導する人はそのことに気付かなければならないのですが、『昔からそうしてる』とか『先輩達がそうしてきた』というようなことから結果に着目することなく『やらせること』だけで満足してしまう指導があまりにも多いので困惑しています。

過去にも児童劇団の養成所のような所で『大きな声で台詞を言えるように』と称して『丹田に力を入れる』とか『腹筋を付けろ』とか言っているのを聞いてびっくりしました。

山や海で大声を出しながら仕事をしている人が、大声を出すために腹筋を強く鍛えているなどと聞いたことがありません。腹筋は物事を行う支えになる筋肉ですから支えになれるだけの筋力があれば充分なのです。(だからと言って鍛えなければ支えられなくなりますから普段からの強化は必要です)それよりも『何故大声が必要なのか?』『何処まで届く声が必要なのか?』『どのような声質が必要なのか?』という『目的・目標』を持つ方が遥かに重要です。

劇団さくらの指導は常に『原理・原則』から考えた指導を行っています。彼等が成長しないとしたらそれは指導の研究・工夫が足りないからだと考えていますが、劇団員達も考えること、工夫することが義務になっています。

リーダー弥惣兵衛が出題する宿題にこんな算数計算がありました。

2+3+5+6+4+7−5−4−6−5−3−2=

劇団さくらでは出題した者がプレゼンテーションを行うことは義務になっていますので弥惣兵衛が計算の仕方についてプレゼンテーションを行いました。

知的障害者ならこの問題は最初から一つずつ計算することでしょうが、工夫することも義務になっているので次週の答え合わせでは弥惣兵衛は2つずつ分けて計算をして最後にまとめる計算方法を提案しました。

2+3=5 5+6=11 4+7=11 5−4=1 6−5=1 3−2=1 だから、

5+11=16 1611=27 27−1=26 26−1=25 25−1=24 答えは24になりましたが、他の団員の答えが違っていたので皆が不審顔になりました。そこで私が『+組と−組に分ける方法はどうだろう?』と提案しました。

+組は2と3と5と6と4と7で27 −組は5と4と6と5と3と2で25だから+組が2つ勝った。答えは2だけど、どうだろう? (この他に消去法もありますね)

この後、稽古場を+方向と−方向に歩きながら検算をしましたが、このように実践で工夫しながら彼等は成長しています。

  稽古日誌(57日)

          『連休中・注意すること』

大型連休が終わり、稽古が再開されました。

最初はやはり全体の動きも鈍く行動が流れる者や判断が遅い者など、バラバラな感じでした。もちろん稽古を行っている間に普段の団員の姿に戻りましたが、何故連休の間にこうなってしまうのか?これは彼等だけの問題ではなく、彼等を取り巻く全体で考える必要があります。

20数年前、私が最初に彼等のような障害を持った人達に指導を行った頃、その時ずっと私の側で助言をして下さった若い精神科医に『彼等は良くなったと思ってもすぐ戻ってしまうんですよ。定着が難しいんです』と言われました。この時の「良くなった」とは「能力」を指しますが、続けて精神科医から『だから1ミリでも良くなって定着したら大変なことなんですよ』とも言われました。その時は良く考えもせず『なるほど、そんなものか』と思って稽古を続けていましたが、今は違います!彼等は確実に良くなります!・・・ただ、良くなっても環境が壊してしまうのです。

話しを戻しますが、何故あんなに何時も反応も良く、考えた行動も出来ていた団員達が一次的にしろ連休の間に壊れてしまったのでしょう?

勿論これは推測ですが、この答えは4月9日の稽古日誌にも書いた『個体維持』と『種族維持』にあると思います。人間は誰でも(障害を持った彼等でも)生の原点は『個体維持』ですから『自分中心(自分勝手)』です。しかし自分だけでは生きて行けませんから『自分の生を保障する仲間』が必要です。つまり、一次的には『自分が生きる』ことであり、二次的には『自分が生きるための仲間が必要』となっています。

このことは産まれた時から宿命的に持たされていますから人間誰でも最初から『自分が生きる』方向に成長して行きます。しかし二次的な『自分が生きるための仲間』に入るには『仲間が必要とするもの』を作れるか獲得できる能力が必要です。従って、『人間の自立』とは、仲間と物々交換出来るようになること、自分の生を保障するものを獲得出来るようになることを指し、それまでは『そのための学習期間』と考えるのが自然です。しかし、万一『障害を持った彼等は自立出来ない』と考えたらどうなるでしょうか?

答えは明らかで一次的な『個体維持』に止まってしまいます。

『だから彼等は保護されるのだ』と考える人がいたらこれも間違いです。人間誰でも自分の生を保障するために『仲間と共存共栄』を考え、バランスを保ちながら生きている中に、自分中心で自分勝手な『個体維持』だけの人間が紛れ込んだら混乱は必至です。

このようなことから障害を持った彼等は、常に『共存共栄できる自立のために学習中』の身でなければならないのです。彼等が現状で出来る軽作業で仕事が出来たとしても、それで『自立』とはならないのです。彼等で出来る軽作業であっても『自立のための実習中』であれば立派な『自立するための学習期間』となります。

全ての能力が低い彼等を保護することは尊いことです。しかし、彼等を徒に『個体維持』だけに固執させてしまう保護は『人間の生のあり方』から考えても彼等を破壊させてしまう結果になります。

20数年、知的に障害を持った人達を指導した結果、彼等を常に『勉強中だよ』とする限り彼等の能力は伸びます。勿論健常者のような短期間の成長は望めませんが確実に一歩ずつ成長します。劇団の『九九の暗誦』も『八の段』まで進みました。今年中には全員が『九九の暗誦』は卒業出来るかも知れませんので、現在は『七の段』までの応用を行っています。

何故一次的であれ能力が落ちてしまったか、という最初の問題について答えが出たような出ないようなレポートになって仕舞いましたが、最後に私が高校生のころ音楽を指導して頂いた大恩師、金子一雄先生の言葉をお借りすれば『休止符を憩ってはダメだよ。四分休符は四分休符という音符だよ』ということになりそうです。

彼等にとっても休日は必要だと思いますが、社会全体で彼等にとって意義のある休日にして上げて欲しいと切に願っています。

(今日は台詞の発声でも重要な稽古を行いました。そのレポートは次回にします)

 稽古日誌(4月23日)

           『ちゃんとすること』

今日は『台詞術』を中心に稽古を行いました。

台詞・・つまり言葉ですが、言葉とはそれだけで成立するものではありません。人間がある状況で何らかの情報を受け(感受)、脳内で内的反応(感情)が起こり、エモーションとしての情動が言葉にもなるのです。・・・ちょっと難しくしてしまいましたが、『自然発生的な言葉』と『台本などを読む言葉』とは本質的に違うということです。従って自然な言葉と台詞の台詞とは違って当然なのですが、演劇は『虚構の世界で実を演じる』ことですから実際と違っては困ります。

また、自然の言葉は『自分の中で変化(反応)したことを相手に伝える』ことですから相手が理解すればどんなに省略された言葉でも癖の強い言葉でも成立しますが、演劇には『観客』という第三者が存在しますので、『観客が状況や心情(感情)を理解できる言葉』でなければ成立しません。またその言葉は『実際と同じ言葉』である必要がありますので遠い昔から『台詞術』は大変難しいとされていますが、近年テレビの普及とともに『観客を意識しないドラマ』や『国民全体の生活様式や言葉の省略化』により、言葉本来の『内的反応を伝える』という使命が軽視され、演劇に使われる台詞の発声自体も『誇張』や『省略』されたものになり、情緒を表現することには適さない発声になっていることは大変悲しい現実です。(国民全体が物事をネガティブに捉え、ポジティブに進むことが弱くなっているのも原因かも知れませんね)

さて、さくらの稽古です。『言葉は相手のためにある』ので、最初は3人1組になり、1人が2人を相手にして交互にボールの交換をしました。カウントを入れ、0、1、0、1・・のタイミングでボールを渡します。(0が動機です。1は相手がボールを受け取る所、つまり『相手のために言葉を言う所』です)

この訓練で発見できたことは『動機は同じでもボールを相手が受け取る時より、自分がボールを投げる時の方が遥かにしっかりボールを見ている』ということです。ちょっと分かりづらいと思いますが、『自分がボールを投げる時はしっかりしているけれど、相手がボールを受け取る時はいい加減になる』ということです。もちろん1人が2人を相手にするので『いちいち一人をしっかり見ているヒマなどない』ということなのでしょうが、実際には間に0が入るので充分余裕はあるのです。試みに、相手がボールを受け取る所を強制的にしっかり見させると途端にしっかりボールが渡るようになりました。

これは『自分の台詞はしっかり言うが、相手がどのように受け取ったか感知しない』という粗末な役者の習性と同じです。

そして次の訓練は、前記と同じ条件で0、1の1(相手がボールを受け取る所)を台詞にしてみましたが、結果は『台詞のタイミングは合っても台詞自体が徐々に崩れる』という現象が現れました。(もちろん次の台詞が気になるからですが)そこで今度は『相手に渡したボールから目を離さずに台詞を言う』ことを強制的にやらせてみると、これも途端に台詞が崩れることもなく、最後までしっかりした台詞に変わりました。

このことから分かることは『継続の時間』です。一つの台詞を言うにはそれ相当の時間が必要ですが、その『必要な時間いっぱい時間を前に進めているか』という問題です。

たとえ相手に台詞をしっかり渡せても『台詞を言い終わり、その効果が相手の演技・表情に現れるのを確認するまで(時間経過)相手を見続ける』ことが必要だということになります。(台詞の間、視線が変わっても「見続ける」ことには変わりはありませんが、途中で台詞の調子が変わる場合があります。この場合は『視点が変わる』ことを意味していて「見方が変わる」ことです)

今回のテーマになった人間の情報収集器官としての『視覚』ですが、特徴として『獲得するスピードは他の知覚より早いが情報量が少ない』と言えます。従って『ちゃんと見なさい!』と言われ、『凝視』『熟視』し、『指差しながら見る』結果となるのですが、良く考えてみると『ちゃんと見る』『しっかり見る』とは『対象となる人(物)を見る』ことで、自分自身の行為としての『見る』だけでは成立しないことが今回の訓練で解ります。つまり自分自身で『しっかりしている』『ちゃんとやった』と自覚しても対象者(物)に対して(対象者・物の立場に立って)『しっかり』『ちゃんと』しなければ周囲はそうと思わないのです。

演劇ではこのことが非常に多く、『しっかりやったつもりが、観客や相手役にはそうと見えない』ことがよく起こりますが、一般の日常生活でも『よく見ない』『よく聞かない』は誰でも経験しています。増しては知的障害者である彼等はこのことが『相手の立場を理解しない』ことの一因にもなっています。

劇中の対話が成立していない役者も同じですが、自閉症の人をはじめ知的障害者全体に対して『彼等はコミュニケーションに難がある』と簡単に諦めることなく、このような訓練を繰り返し行ってことで対話が成立していくことは「劇団さくら」の稽古で明らかになっています。次回も対話の台詞稽古を予定しています。

  稽古日誌(4月16日)

           『変換すること』

演劇の基本は『受け芝居』です。相手の演技や台詞を受けて初めて自分の演技や台詞が起こります。但しこの場合、受け取った演技や台詞と全く同じものを他に返す訳ではないので『受けて反応する』こと、つまり『変換』が必要です。

これは一般論ですが、自閉症圏内の人の中に『オウム返し』という特徴を持った人がたくさん居ます。しかし、ものごとを『反射的』に返してしまう言動を『オウム返し』とすれば、その『癖』を持った人は健常者と言われる人の中にもたくさん居ます。

勿論これには『確認』のための『復誦』も含まれると思いますので全てが『反射』ではないと思いますが、やはりものごとを『反射』で返すより『変換』して返す方が難しいのは健常者も同じだと思います。

と、いうことで今日の訓練は『取り替える(変換する)作業』です。

何時ものように前方に椅子を5脚、間隔を空けて横に並べました。それぞれの椅子には

赤・白・青・黄・緑のボールを載せました。そしてホワイトボードに、赤→黄、白→緑

青→赤、黄→青、緑→白、と書きました。

団員を演技指導の夏川組とリーダー弥惣兵衛組に分けて、出題者は夏川とリーダーが行いましたが、課題は出題者からカラーボールを受け取り、ホワイトボードに書かれた指示通りの色のボールと走って交換してくることです。

結果はほぼ順調でしたが、最初はやはり自分が持っているボールの色の意識の方が強いらしく、椅子の所まで走って行ってからどの色と交換するのか分からなくなってしまう者や迷ってしまう者、そして自分の色と同じ色のボールと交換してしまう者もいました。

しかし慣れるに従い、全員が先にボードを見ておいて何色のボールと交換するのか覚えておいて、ボールを受け取ると一目散に目的のボールに向って走る姿に変わりました。

そして、その次には『自分の前の人が持って帰ってくるボールの色を見て、その段階で自分の行動を決める』という『台詞の動機』として理想的な行動になりました。

通常、知的に障害を持つ人達にこのような人達に『状況に応じて変換する』という作業や勉強をさせていないことがこの訓練で分かりましたが、上記の通り彼等に対して『理解させて訓練する』ことを行えば必ず出来るのです。彼等に対して一方的な作業を繰り返させることは彼等の『創造性』や『工夫する力』を奪うだけでなく、失敗したときの

『混乱』や『混迷』を招き、パニック状態に陥らせる危険性もあります。

現在、劇団さくらの団員達は非常に平然とした行動を行うようになっていますが、その裏には工夫や変換や思考というような『ゆとり(余裕)』を持てるようになったことが

大きな要因となっています。

勿論、彼等がこのような良い結果を出すためには基礎力として『機敏性を持った判断力』も必要ですから当然そのための訓練も行っていますが、総じて劇団員達の行動はとても知的障害者とは思えないほどスピード感を持っています。今日もその訓練を行いました。

【訓練】

 2人1組になってボールをパスしながら全速力で稽古場を走り抜けます。

 全速力で走るのでボールをパスするタイミングは必然的に決まりますが、これによっ

 て動機のタイミングと強度を覚えます。

 相手にボールをパスして受け取らせるためには相手の走る前方にボールを投げなく

 てはなりませんが、この訓練で『予測』を覚えます。

劇団さくら団員達は、今では稽古のために稽古場に入ってから終るまで、一人で呆然としているがなくなりました。全員が休憩時間でも台本を読んだり、次の準備をしたりと目的を持って行動しています。当然理解も早くなっています。

知的障害を持った人達にとって『勉強』は、命をつなぐために最も重要な『仕事』です。

多くの方の参加をお待ちしています。

  稽古日誌(4月9日)

            『修正すること』

何度も書いた気がしますが・・・・。

『人間は何のために産まれてきたのか?』『人間は何のために生きるのか?』という人間の『生』についてその原点を探れば、それは『個体維持』と『種族維持』にあるとする考えを否定することは出来ません。

人間誰もが『個体維持』が根本ですから、誰もが根底では『自己中心』であり『自分勝手』です。しかし人間には獲物を獲るための牙もなく、魚を捕るために便利なヒレも水掻きもありません。また、生きるために必要な空気も水も自然の助けがなければ得られないことを考えれば、人間が『個体維持』するためには『他の協力を得る』必要がありますが、我々人間は赤子でも『ちょうだい!』と言えば持っているものをくれるように幸いにも『他人と物を分ける』ことや『他人に物をあげる』ことが出来るようになっています。そして、このことから自然発生的に起るのが『物々交換』ですが、同時に部族のような『グループ化』も起ったと考えるのが自然です。

このように人間が『個体維持』と『種族維持』を本能的(宿命的でしょうか?)に背負って産まれ、それを維持するためにグループが発生したとすると、そのグループに参加するためには『他人と分けるための獲物の安定供給』と『グループ間の調和』が絶対的に必要になりますが、ここまで来ると一つの問題が起ることが考えられます。

1人の人間の『個体維持』だけを考えれば個体維持は『自分本位』であり『自分勝手』ですが、維持するために出来たグループの中で『個体維持』するには『他人に合わせられる』こと、つまり『他人に合わせて自分を訂正(修正)できる能力』があるかどうかという問題です。

現在、多くの知的障害者や人格障害者が抱える最大の問題となっているのは『自分を訂正(修正)できるか?』という問題です。多くの彼等は『自己中心的』で『他罰的』ですが、それは彼等が悪い訳ではありません。上記のことで分かるように誰でも持っている『個体維持』からどれだけ発達しているか?という『情緒発達』の問題なのです。

また、生きるための共存・調和を可能にする『自己修正(訂正)』が出来るようになるにはその基準になる『絶対視の形成』(健常者で小学校入学期までに形成される)が必要だということも上記のことから分かります。(先生の言うこと、親の言うことは絶対正しいという絶対視は初期の学習には絶対必要です)

このようなことから劇団さくらの今日の稽古も『絶対視を作るため』と『訂正(修正)が出来るようになるため』の訓練から始まりました。

稽古場に椅子を5脚ずつ(間隔を空けて)3列に並べました。それぞれの椅子には5色のカラーボールを無作為に載せました。5色の色の順番は各列とも違っています。

課題は『○列(の色の順)に合わせて○列を直しなさい』という問題です。

(例:2列目の赤・白・青・黄・緑に合わせて3列目の青・黄・赤・緑・白を直しなさい等です)

この課題では基準になる列を『絶対』とし、先ず最初に基準の列の色順を覚えます。そして指示された列を修正します。(他所で同様の指導を行った時、基準になる列を動かしてしまうケースが多く見られましたが、劇団さくらでは全く起りませんでした)

そして修正完了時にもう一度基準に合わせて確認を行い指導者に報告します。

この訓練で意外だったのは『列』が分からない団員が存在したことです。学校などで過去に学習されていなかったのかも知れませんので、全員を列に並ばせて『列の学習』から始めました。
ほぼ全員がこの訓練を理解できたようですが、まだまだ未消化なので今後も試行数を増やす必要のある訓練でした。

このような『修正(訂正)』や『間違い探し』のような訓練は右脳・左脳のバランスを整えるだけでなく『判断力の強化』など、重要な能力の確保・強化に繋がりますので、今後も数多く強化訓練を行う予定でいます。そこで、私から団員達に宿題を出しました。

【宿題】次の間違いを直しなさい。

1.     (2×8)=(3×6)=(4×5)

2.     あゆ(鮎)・こい(鯉)・うなぎ(鰻)・なまず(鯰)・たい(鯛)

3.     + = 1週間

4.     会・下位・外・貝・海

5.     1・3・5・7 2・4・6・9

この宿題の間違いを探すのは簡単ですが、修正はちょっと難しいかも知れません。

試みに問題1をリーダーにやらせてみたら簡単に答えを出しました。

宿題の出題ははリーダーだけでなく他の団員も行うことを始めていますが、出題者には『説明』(プレゼンテーション)を義務付けることを始めています。
彼等にとっても『勉強』は楽しいらしく、帰りは何時も全員が生き々々した顔になっています。

  稽古日誌(4月2日)

            『学習すること』

ごく一般的に『勉強』とか『学習』というと『今まで知らなかったことを学ぶこと』や『今まで出来なかったことを学ぶこと』を指します。つまり結果として『今まで知らなかったことを知ること』や『今まで出来なかったことが出来るようになること』ですが、知的障害者は学習困難者でもあるので、彼等は『勉強』や『学習』が出来ないとされてきました。実際に彼等の保護者から『(うちの子は)出来ないんです』とか『(うちの子は)分からないんです』という言葉をよく耳にします。実際にその通りなのでしょうか?

ここに一つの疑問があります。つまり、『学習困難』とは『学習出来ないのか?』『学習しないのか?』という問題です。自分にとって『学習が必要なのか?』『必要ないのか?』という問題でもあります。

実際に劇団で団員達に『読み・書き・そろばん』の問題を出してみると、殆どの場合、間違っても答えを出します。分からなかったり出来ないとすれば答えは出せませんので、答えを出すからには彼等なりの答えを持っていることになります。

このことは非常に大きな問題で、一般的に彼等は『新たに指導された正しい答えに訂正が出来ない』ことを表しています。

従って学習には『正しくない自分を訂正する』という能力が必要になりますが、人間が生きることの原点が『個体維持』であることを考えると、そのためには情緒の発達として『絶対視』の形成も併せて必要だと分かります。

そこで今日の訓練は『訂正のプログラム』です。

これも椅子とカラーボールを使った訓練ですが、正面に椅子を前後2列に5脚ずつ並べます。(前列と後列では1脚分横にずれています)そして椅子の上に5色のカラーボールを前後列不揃いに並べます。(例:前列左から、赤・白・黄・緑・青に対して後列は左から青・黄・緑・白・赤というように)そして課題は『椅子の正面から走ってきて、カラーボールを前後2列同じ順に並べ直す』というものです。(前列左から:青・黄・緑・白・赤で、後列も左から:青・黄・緑・白・赤)
この課題に挑戦するために、まず最初に必要になるのが『前列と後列、どちらを基準にするか?』という『絶対視』に関する機能です。そして次に必要になるのが『間違いを直す』という『訂正』に関する機能です。

先にこの課題の結果から報告しますと、ヒントとして私の『どちらの列が正しいですか?』という問いに対して『前の列です』とはっきり正解を答えたのはリーダーだけで、

後の団員達はどちらが正しいか判断出来ない様子でした。そしてこの結果からも分かる通り、次の『並べ直す』課題もリーダーは即座に出来ましたが、後の団員は多少の混乱があり、特に目立ったのは『前列に合わせて、後列を直す』タイプが非常に多く、『並べ直す』ことが出来ない団員は1〜2名だけでした。

この課題の目的は『正しい目標に合わせて自分を訂正する』ということの理解です。

従ってこの場合は『より前方にあるのが目標(理想・絶対値)』であり、それに対して『より近い所にあるのが自分(自己)』ですから『前方にある目標(理想)に合わせて手前(現在の自分)を訂正する』ことが出来れば正解です。

試みに、この課題を一般の健常人や他の施設の人にも行ってみましたが、結果は圧倒的に『手前に合わせて前方を訂正する』人が多数を占めました。

実際にこの課題を行ってみれば分かりますが、先方に合わせて手前を訂正した方が全く楽なのですが、何故か先方を訂正してしまいます。

この結果から分かるように、うっかりしていると『他人を自分に合わさせる』行為を行ってしまいます。人間の根本が『個体維持』ですからこの結果は当然と言えば当然なのですが、彼等(知的障害者)の場合は当然では済まされません。自己中心的な行動は周囲を混乱させるからですが、そのためには先ず情緒として『絶対視の形成』(小学校1年生レベル)を急がなくてはなりません。

『学習』とは『既成された思考』を訂正することだ、とも言えます。そして彼等の場合、

『絶対視』が形成されれば『学習』は想像以上に進みます。そのための訓練は今後も続きます。

                  

古日誌(319日)

            『障害の問題点』

劇団さくらの目標は障害者の『社会参加』です。知的障害者であっても必要以上に一般社会人のお世話になることなく精一杯『社会のお役に立つ』ことです。従って劇団の稽古は演劇に必要な能力だけでなく、一般社会活動としても必要な機能・能力の獲得を目指した訓練も必要になっているのです。

では、彼等が一般社会で(一般社会だけでなく、彼等だけの環境であっても)活動する上で一番大きな障害となっているのは何だろうと皆さんはお考えでしょうか?

答えは『自己中心』です。これは知的障害者だけでなく人格障害者も同じですが、彼等が社会性を持ち出した時から他者とのコミュニケーションの上で大きな障害となっているのが『自分を軸とした考え方しかしない』という問題です。

何故そうなってしまうのか? 少し原点から考えてみましょう。

最初に人間は『なぜ生きるのでしょうか?』『生きるとはどういうことなのでしょうか?』・・・その原点を生物学的に突き詰めて行くと、究極は『個体維持』であり『種族維持』ということになります。つまり『自己中心的な行動』は『生まれた命を続けよう』とする生物としての本能であり、生きることの原点でもあります。

従って、『自分自身の命』を『自分自身で生き続けさせる』ことが出来れば問題はないのですが、残念ながら生きて行くには空気も水も必要、食べる獲物も必要というように自然の恩恵を受けなくてはなりません。人間は『自分だけで生きて行くことは不可能』な生物です。増して現代の人間は『他人の恩恵』なしに生きて行けません。

また、人間には『戦う為の牙』がないことも考えれば『生きて行く為に必要なものを分け合うことで我が命を持続する生物』だと分かります。

そして必然的に起るのが経済の原点でもある『物々交換』です。

こうして原点から考えると『人間は一人では生きて行けない動物』だと分かるのですが、相変わらず『個体維持』が原点であるだけに『闘争心』や『競争心』、『独占欲』などという『自己中心』が生き続けます。

このように人間の『生きる』原点から考えた場合、知的障害者を含め発達障害者や人格障害者は『他人の恩恵』を受けることが多過ぎるのです。『物々交換』で言えば『ものを渡す』ことより『ものを受ける』方が遥かに多いのです。障害者は何も出来ないから当然だと言ってしまえばそれまでですが、『他人のために何もしないから自己中心になる』のです。

自己中心の考え方は『他罰的』であり『自分こそ正しい』という周囲が困惑する状況になってしまいます。彼等を『生かす』ことが重要であるならば、彼等であっても最大限『他人のために』出来ることをしなければ『健全に生きる』ことは不可能なのです。

現在、犯罪の多くは『自己中心的』な思考や行動から起っていますが、発達障害者も『自分が正しい』と確信することは『対人操作』をはじめ周囲を困惑させる様々な言動となることから彼等最大の問題点でもあるのです。

このようなことから劇団さくらでは『他人と自分との拘わり』について様々な訓練を行っていますが、今日の訓練は『見方』です。彼等の多くはもの(物に限らず)を見る時、自己中心的に単一方向からしか見ませんので『自己中心的な偏見』が生じます。

そこで今日の訓練は様々な方向に椅子を並べ、『見本』に並べてあるボールと同じ並びに異なる方向に並べてある椅子にボールを並べる訓練です。

これは常に並べてある椅子の正面に自分の身体を置くことで問題を解くことが出来る(つまり、見方を変えること)のですが、詳しいことは結果報告を含めて次週に報告します。

今日も帰路につく劇団員たちの顔は輝いていました。やはり勉強は良いものです。

 稽古日誌(2月27日)

           『順列の訓練』

劇団さくらでは、基礎訓練として演劇に必要な能力だけでなく、一般社会活動としても必要な機能・能力の獲得を目指した訓練を行っています。

江戸時代から『人格形成』の基礎として所謂『読み・書き・算盤』が幼少から『寺子屋』や『教習所』で行われていたことは誰でも知っていることですが、劇団さくらでも台本を読み、宿題を書き、リーダー弥惣兵衛が出題する算数を計算しています。

私は団員達に説明する場合、必ずホワイトボードに文字を書き、図を書いて説明しますが、それは理解を容易にするだけでなく、文字を読む習慣を付けさせるためでもあります。実際に彼らは良く勉強をするようになりました。全員が雑記帳のようなノートを持って床に腹這いになって書いています。(もちろん稽古場ですから机は用意しません。読み書くことが重要なのでどんな格好で書こうが自由です。でも、その方が何のために書いているのかが分かるらしく全員が真剣に書いています)

この雑記帳には『宿題』も書き写しますので保護者もこのノートを見ます。最初は保護者の字で『何が書いてあるのか意味が分かりません』というようなことが多かったのですが、それが『○○さんのお子さんの現状ですからしっかり書くように言って下さい』と説明していると、最近では保護者も真剣に取り組んでいるらしく意味不明なことが書かれていることはめっきり少なくなりました。必要なら覚える。どんな彼らでもやらせれば出来るのです。 と、いうことで今日の訓練も『順列』です。

今日も5色カラーボールを置いた椅子を並べ、その後ろにもカラーボールを置いた椅子を並べました。前と後ろのボールの順序が違うことは先週と同じですが、今日は前後とも椅子が1脚多く、ボールを置いてない椅子を置きました。そして前後の椅子は1脚分ずらして並べました。問題は、前後同じ色の順に並べ直すことです。

一人ずつ挑戦しましたが、やはり椅子が1つ多いことと椅子がずらして並べてあることが混乱を招くようで、最初は全員がかなり苦戦していました。

しかし、色の順を復誦するときにボールを置かない椅子を0(ゼロ 何もないから0ですが)と言わせると途端に理解したようで全員が順調に並べ直すことが出来るようになりました。

最後は椅子を5脚に戻して全員が1つずつ間違っているボールを直すスピードの訓練を行いました。私がボールを順不同にすると全員が1つずつ直す訓練です。
非常に早いテンポでこの訓練を行いましたが、彼らは理解すると非常に早く行動を起こします。最後は私の方が彼らに追いつかれてしまいました。

  稽古日誌(3月5日)

              『順列の訓練(続き)』

劇団さくらは演劇集団ですから『登場人物の人格を演じる』という必要性があって『人格形成』の教育に力を注いでいます。(登場人物が舞台に出てボ〜ッとしていたのでは芝居になりませんので当然ですが・・・・) と、いうことで今日の最初は『立ち位置』の前後間隔、つまり縦列の再教育を行いました。
普通、日本の舞台では1尺(30センチ)を単位として3尺(90センチ)毎に番号がふられます。従って横も縦も演出が黙っていれば夫々の間隔は90センチ間隔になります。

今も日本の家屋は畳や襖があり、日本人はその中で生活していますのでそれが自然なのですが、何故か縦列に並ばせると間隔が狭くなってしまいます。そしてその特徴は彼等の場合一層強く現れます。

そこで稽古場の床に張ってある床材が1間幅(180センチ)であることを利用して、最初の切れ目を1、次の切れ目を2、と奥に4番まで決めて、その間に夫々1.5、2.5、3.5を入れました。これで90センチ間隔になりました。

ここまで説明して実際に彼等が理解したか一人ずつテストをしてみました。

しかし案の定4割の団員が実際に指定した場所に立つことが出来ませんでした。そして同じ説明を繰り返して再度テストしてみましたが、やはり出来ませんでした。

そこで今度は説明の前に『私は先生だから皆に説明する立場だ。皆は団員だから説明をしっかり聞いて覚える立場だ』と繰り返し話し、その後同じ説明をしてテストを行ってみると、今度は全員が指定の場所に立てたのです。つまり、出来なかった団員は説明を『聞く立場』になかったのです。説明を聞けば出来ることが分かります。

何度も繰り返しますが、劇団さくらの団員達は特別能力が高いわけではありません。ごく普通の障害者です。しかし何でも理解し、勉強する努力が出来るのは私達も親御さんも本人も『諦めない』からです。どうしたら覚えるか、どうしたら理解できるかを真剣に考え、研究し、繰り返し実践しているからです。上記の場合も『覚えられない』のではなく、『説明を聞かなかった』だけだったのです。一番恐ろしいのは『彼等に能力はない』と思われることです。実際は指導する側にこそ『彼等を知る能力』に欠けることが大きな原因だと私達は考えています。

前説が長くなり過ぎました。今日の特訓は前回と同じく『カラーボールの順列』です。

夫々の椅子に置いたカラーボールの順列を見本にしてボールを置いていない空き椅子に同じ色の順列に揃えてボールを置く訓練です。

今日の条件は『2列の椅子は1脚分だけずらしてある』だけでなく、2列に置かれている椅子が『向いあっている』場合と『背中合わせになっている』の2通りあります。

そして結果は・・・最悪でした。

椅子が『向いあって』並んでいる場合は自分が間に入ってしまうので、どうしても向い合った椅子のボールの色を合わせてしまいます。その上1脚分ずれているので全部のボールを置けなくなってうろうろしてしまう状態になりました。

また、『背中合わせ』に並んでいる椅子の場合は両方の椅子が見えるので、これもまた同じ色を合わせてしまいました。そしてここでもボールを置けない状態になりました。

この結果から彼等は『正面向って左から何番目』というように『順列』で物を見ることが非常に弱いということが分かります。

一般的に自閉症の人は写真的に物を見ると言われていますが、やはり順序や経緯・経過(又はルート)でものを見ることが弱いのでしょうか。しかし、リーダーの弥惣兵衛は即座に『向って左から何色』という見方をして正解しています。

私のこの指導の目的は『どのように並んでいても自分の身体を正面に持って行き、順番に確認する』というもので、彼等だけでなく一般健常者にも起こり易い『偏見』を修正するものです。どんな人にとっても『いろいろな立場でものが見られる』ことは柔軟性や応用力を高めるものでとても大切なことですが、立場上適応性を常に求められる彼等にとっては死活問題でもあります。全員がこの課題をクリアーするために訓練はまだまだ続きます。是非皆さんも挑戦してみて下さい。

  稽古日誌(2月12日)

            『イベントに参加』

稽古日誌の書き込みが遅れましたが、2月12日は何時も稽古場をお借りしているコミュニティセンターの『まつり』に参加しました。

劇団さくらの出演は1時間で少々短めだったのですが、それでも広い多目的ホールのフロア一杯にお客様を巻き込んで楽しいプログラムが出来ました。

最初はテンポの早い『歩行』です。演劇の基本は何と言っても『目的を持った歩行』ですが、それぞれ『意志力・協調性・自制心』を表す歩行をオリバー・マーチ(ミュージカル『オリバー』の挿入曲)に合わせて歩きました。客席からお元気なお客様も参加されましたが曲が早い上に大変長い曲なので、慣れた団員より苦しそうにされていました。

次はカラーボールを使った『足し算・引き算』の訓練です。8脚ずつ2列に並べた椅子の上に5色のカラーボールを無作為に乗せてあり、答えの色のカラーボールを走りながらタッチしてくる訓練です。

先ず『足し算』です。これは出題者に言われた色のボールを全てタッチしてくれば良いので簡単です。『白+赤』『緑+青+黄色』等は全員が正解です。しかし『白+赤+緑+青』と、なるとお客様に少々ミスが出て来ました。つまりこの問題の場合、出題されたボールの色を全て覚えるのではなく『黄色以外のボール』と解釈してしまう場合で、この場合はタッチミスが少なからず起るようです。

次は『引き算』です。5色のボールから出題された色を除いた色のボールをタッチしてくる訓練です。『白・赤・緑・青・黄 引く 赤・青』の場合は『白・緑・黄』のボールを全部タッチしてくれば正解ですが、頭の中で一度覚えた色から出題された色を消去する、つまり『引き算』の暗算を行うことになるので結構ミスする人が出てきました。

しかし、この難問でも団員達の中に正解する団員が数人いて、その都度客席から拍手が起こりました。

最後の訓練はコミュニケーションの訓練で、カラーボールを渡しながら質問したり答えたりする訓練ですが、ここでも団員達は初対面のお客様に対して自由に質問したり答えたりしていたので皆さん大変感心されていました。

この後(短い時間でしたが)団員達のお芝居の立ち稽古をご覧になって頂きましたが、私達にとってこのような催しは、知的障害である彼らを理解して頂く上で大変有難く、参加させて頂いたことに感謝しています。

一般的に彼らは『能力のない者』と思われていますが、『彼らは無能ではなく、勉強すれば健常者のお役に立てる人達』なのです。 これからもこのような機会を頂けるならどのような所でも出掛けて『勉強を続ける彼ら』を理解して頂けるための活動を行って参りたいと思っています。そのような所がございましたらお気軽にお声をお懸け下さい。

(2月20日)

             『順列の訓練』

今日の訓練は『順列』です。

稽古場の下手に椅子を5脚ずつ2列に並べました。前列と後列は椅子2脚分ずらしてありますが、前列と後列にそれぞれ3つずつ無作為にカラーボールを載せました。

課題は予備のカラーボールを上手から運んで行き、前列と後列を同じ色の順に並べる問題です。色の順番は指定しないので、何の関連も無く既に無作為に置かれているボールが混乱を招くことになりますが、結果は大変興味深いものになりました。

結果として総じて言えることは、全員が2列の椅子全部に1個ずつボールを載せるという『作業』は完璧に出来るということです。つまり、彼らは劇団に入団する以前から既に『作業訓練』として『物を運んで載せる』という訓練はされていることが分かります。

しかし問題は『物を運ぶ時は、同じ順番に揃えて載せておく』という健常者としては当然の行為を彼らは教育されていないことです。彼らは総じて『物を運ぶ』という作業は大好きで懸命に走って運びますが、運んだ先がバラバラだったら運ばせた人が困ります。

彼らも就職は決して安易ではないはずです。何処でも『即戦力』として期待されていることでしょう。間違ったら直すという『修正』が出来なかったらその都度問題になるでしょう。

もう一つの問題は、最初から前列と後列を椅子2脚分ずらして置いた問題です。

当然椅子を揃えて並べるよりずらして並べた方が比較しにくいので『確認』が混乱するだろうと予測して、中には椅子の方を並べ直してしまう者が出るのではないかと思いましたが、さすがに椅子の方を動かしてしまう団員はいませんでした。

しかし、中には熟考の上『前列に合わせて椅子の無い所にボールを置いた』という誰もが予想もしなかった回答をして、みんなの笑いを誘った猛者もいました。

その後、椅子の向きを変えて縦に並べた列を2列増やして訓練を続けましたが、最終的には半数以上の団員がこの問題を理解することが出来るようになりました。

演劇には色々な能力が必要になりますが、このような演劇に必要な基礎訓練は今後も続きますので、一般の方も役者志望の方も是非一度ご参加下さい。お待ちしています。

稽古日誌(2月6日)

           『引き算の行動 その2』

この所『引き算』の稽古が続いていますが、今日も『引き算の行動』の稽古です。

いつもの通り稽古開始前に稽古道具の運搬車が到着すると、リーダー弥惣兵衛の指示で団員達が夫々順番に道具を取りに行きます。私は当然彼らに道具を渡す役目ですが、その時団員達は『おはようございます。○○を取りに来ました。宜しくお願いします』と用件を私に伝えます。
入団当初の団員達は、全員が『物を運ぶ』という行動は得意でしたがこの用件を伝えるという行動は困難を極めていました。しかし現在では試行を重ねることで全員が出来ることになっています。・・・『出来るはず・・』というのは稽古を続けて休むと出来なくなる団員もいるということです。
何故『出来なくなるのか?』という疑問について、その原因を考えれば『彼らは定着が困難』という当然のように言われている要因が上げられるでしょう。しかし、それよりもっと大きな要因は『彼らのそれまでの教育』にあることは確かなことです。
何故なら前記の『おはようございます』と『宜しくお願いします』、そして『物を運ぶ』という行為は全員が入団以前から出来ています。しかし肝心の『○○を(品物)』『取りに』『来ました』という用件を伝えることは極端に出来なくなります。

つまり『何を?』に対して『○○を』、『何をしに?』に対して『取りに』、『どうした?』に対して『来ました』という『引き算の教育』が全くなされていないことが最大の原因です。

健常者の演劇でも『演技を行う』ことばかり教育され、実際に『演技を行う』ことしか考えていない演技が最近は目立ちますが、これは『足し算の演技』です。その上『心を込める』などと言っているのですから『勝手な自分に固執する障害者』と同じで『憂う』どころか『心寒い』思いがします。

何度もこの日誌で書いていますが、演技の基本は『受け芝居』である『返答』にあります。『何を受けたか?』に始まり、心として『感情(意志的)』が湧き、『快・不快』に作用して『情動』としての演技が起るのです。その訓練が『演技の勉強』であって『作られた即興劇』などで演技が上手くなることなど絶対にありません。

健常者でプロと自認する若い演技者には劇団さくらで彼らと一緒に勉強することをお勧めします。彼らは『引き算の演技』を勉強しています。

知的障害者の教育という点で言えば、もう一つ問題があります。(健常者で演技を勉強している人も同じですが)それは『情緒』の問題ですが、彼らを取り巻く環境では多くが彼らを『楽しませる』プログラムが相変わらず多いようです。(役者を目指す人達にも参加費を取って楽しい舞台に誰でも立たせるプログラムが多いのですから同じですね)

さて、彼らに対して『楽しませる』だけで良いのでしょうか? もちろん普段は企業や作業所で働いているからという正当な理由もあるでしょう。しかし、現実には劇団さくらで見る限り、彼らが『楽しませるプログラム』に参加する前後は一次的に能力が落ちるのですが、その原因には『情緒』があります。

人間の行動を情緒で考えれば、ご存知の『情緒の三要素』の内、『集中性』は勉強や作業の『持続性』に対して必要です。また『高揚性』は、人間が前進するために必要な『やる気』を起こすためにこれも重要です。しかし、『くつろぎ性』は快感情を得るため、つまり人間に必要なリラックスを生むために必要ですが、問題はこれによって得た『快感情』には持続性は無く、完結型だということです。『不快』には持続性があるのでストレスを起こしますから当然『快』に向う『高揚性』が必要になります。

従って、このことで分かることは『彼ら自身で企画し、実行する』ことを次々に起こせれば『楽しむプログラム』も必要だということです。しかし現実には『目的(目標)に向う』ということが彼ら自身では出来ないので周囲が彼らに『一時の快』を与えるためにイベントを起こしている結果になっているのです。

では、どうしたら良いのでしょうか? ひとつだけ方法があります。

それは彼ら自身だけ楽しむのではなく、『来場したお客さまに楽しんで頂くこと』を目的に彼らが楽しめば良いのです。

人間に取って楽しいことは必要です。誰でも必要なことですから当然彼らにも必要です。

演劇の稽古は『お客様に楽しんで頂く』ことを目標にして行うことが重要です。

演技者個人が褒められることではなく、『お客様が楽しめる作品』を作ることが本当の演技者の快感であり、演技者に『受け芝居』である『引き算の演技』が出来た時、本当の『作品』になるのです。このことは『役者論語』にも書かれていますが、今日も劇団さくらでは『引き算』の勉強が元気に行われました。

(次回2月12日は、正午から1時まで公開稽古です。健常者の方も参加できますので

 是非多くの方の参加をお待ちしています)

  稽古日誌(1月22~23日)

            『感情表現 その1』

22日と23日、連続の稽古になりましたが、団員達は全員調子が良さそうです。

今年の目標は『感情表現』です。

演劇で『感情表現』と言えば当然の演技だと思い勝ちですが、実はこれが大変なのです。

一般的に日本のテレビのドラマ等ではその殆どが『作った感情表現』で、演劇を専門に勉強したとは到底思えない演技ばかりです。

では、演技上必要になる『感情』とはどんなものなのか、簡単に説明します。

感情は一般的に『喜・怒・哀・楽・愛・憎』の六情に総称されることが多いようですが、

それとは別に『肯定的感情』と『否定的感情』、そして『意志的感情』に分類すことが出来ます。この内、『肯定的感情』と『否定的感情』は人間が生まれた時から持っている『快・不快』の神経から起っているものであり、その快・不快は持って生まれた『気質』が大きく影響することは容易に推測できますが、問題は『意志的感情』です。

この『意志的感情』は人間の発達によって生まれ、成長しますので『情緒』と密接な関係があります。

私は団員だけでなく役者志望の若い人達にも『一人の人間の中に肯定的感情を持った人と否定的感情を持った人、そして意志的感情をもった人の三人が居る』と説明しています。そして『外部からの情報を意志的感情が肯定的感情と否定的感情のどちらと結ばれるかによって肯定的情動か否定的情動かに分かれる』と教えています。

感情とは『内的反応であり大脳表皮的な反応』とされている通り、外部からの同じ情報を受けたとしても感受する人の『情緒』によって異なる『情動』が起こります。

つまり、同じ否定的な台詞でも情緒の高い役であれば笑いながらか苦笑しながら言うでしょうし、情緒の低い役であれば怒ったように言う事になるでしょう。日本の昨今のドラマのようにすぐに噛み付くように言ってみたり、泣き叫ぶように台詞を言うことなど実際には滅多に見られることではありません。

劇団さくらでは常に『読み・書き・そろばん』の勉強をさせています。実際にそろばんは使いませんが、常に台本を読み、常に雑記ノートに書かせ、常に計算をさせることは彼らに『大脳表皮的反応』としての内的反応、つまり『意志的感情』を常に持たせようとしているからです。

今年の目標は団員達に『感情表現』を学ばせることです。従って彼らの内面として『意志的感情』を育てさせることであり、その基本となる『立場』を理解させるための稽古を重点的に行うことになります。

実際にこの『感情表現』の説明と稽古として「農民たちが仕事を離れた時の笑いと幕府役人の仕事中の笑い」は全く異なることを1〜2回行っただけで彼らは理解しました。

今後は『意志的感情』を育てるための実践をより多く行い、実践を通して『感情表現』を指導して行きたいと考えています。

一般的に発達障害を持った人が『情緒不安定』に陥ることはとても多いようです。

しかし、快・不快が安定しないのは内的反応として『意志的感情』が弱いからだと考える人は少ないようです。他所で発達障害者数人に『意志的感情』の教育を続けて行ったところ、精神的なパニックを起こすことが極端になくなりましたが、人間の感情をコントロールすること、即ち『自制心』を育てるにはどうしてもこの『意志的感情』に対する教育は必要です。

演劇で演じる『役』は演じている本人と異なる人間です。人間が異なれば内的反応の感情も異なります。当然表出される情動(演技)も本人とは異なる筈です。自然が良いと言っても『本人と異なる自然な演技』でなければなりません。それが『写実』です。

2月12日(日)に稽古場をお借りしているさいたま市の『与野コミュニティセンター』で行われる『センターまつり』に劇団さくらも参加します。

出演は12時から1時までで、出演場所は多目的ホール(大)です。どなたでも参加できますので、演劇に興味のある障害者の方、健常者でも役者志望の方、教育関係・施設関係の方々まで多数参加をお待ちしております。

演劇について、障害者教育について、皆さんとご一緒に考える時間にしたいと願っています。宜しくお願いします。

 稽古日誌(1月16日)

             『引き算が難しい』

本年最初の稽古です。ちょっと長い冬休みがあった後ですから混迷しているかな?と、思いながら稽古場に入りましたが、いやいやビックリ! 全員が挨拶もしっかり言えてましたし、稽古開始までの自主稽古も全員がしっかりやって呆然としている団員は一人もいませんでした。

その昔、私がある施設で演劇の指導を始めた頃ですが、当時発達障害について良く解らなかった私の相談役になって頂いた精神科医から『彼らは続けて指導を行って能力が上がったとしても、ちょっと休むとすぐ能力が落ちてしまいます。定着が難しいのです』と言われたことがあります。しかし、実際には『人間の能力がどのように発達するのか』を知り、『発達の原点から順を追って指導』することで『能力の定着』は可能なのです。

これは何度も言っていることですが、劇団さくらの団員達は特別能力が高い人達ではありません。身の回りの生活自立さえ出来れば誰でも入団出来、年齢に関係なく入団することが出来ます。従って劇団員達は基本的に能力の高い人達ではなく、『能力が上がった人達』なのです。 では、『なぜ能力を上げる必要があるのでしょうか?』

この質問には大きく分けて2つの答えがあります。
その一つは、『作品の登場人物が全員健常者である』ためですが、その中に『一般公開する劇団なので、一般のお客様が観て楽しめる劇団でなくてはならない』という理由もあります。
もう一つの答えには『現在の社会は一般健常者が組織する社会なので、どんなに努力しても障害者であることに変わりはない彼らは、一般健常者を理解出来るようにならなければならない』という理由があります。一般の会社であれば知的障害者が上司で一般健常者が部下であることは考えられません。彼らは一般健常者の理解なくして会社に入社することすら困難でしょう。しかし、彼らが一般健常者を理解出来るほど能力が高くなれば一般社会に進出することは可能なはずです。だから能力を上げる努力をしています。

前説が長くなり過ぎました。今日の稽古です。

今日の稽古は『引き算』と『感情表現』でしたが、『感情表現』については新たな稽古で次週以降引き続き稽古を行いますので次回に報告しますが、今日は『引き算』について報告します。

さて『引き算』ですが、多くの彼らは幼少の頃から『出来ること』を一つずつ積み重ねるように教わって来ました。残念ながら自分で工夫することを殆ど指導されていません。

従って『あれとこれとあれが出来る』的な足し算の行動が得意で、『あれとあれがあるからこれをやればいい』的な引き算は極端に不得手です。

稽古の方法です。5色のボール、赤・青・白・緑・黄のボールを一つずつ乗せた椅子をたくさん並べ、指導員が引き算の問題を出します。問題を出された団員は椅子に向って走り、答えの色のボールを全てタッチして帰って来ます。

例えば、出題が『赤・黄・青・白・緑 引く 黄・白・赤 は?』とすると、答えは『青と緑』ですから青と緑のボールを全てタッチして帰ってきます。

これは引き算ですから出題は1色から4色までありますが、何色であっても『残りを出す』という引き算は彼らにとってとても難しいようです。

(これが『赤+青+白』という足し算になると全員が迷うことなく、簡単に

 答えの赤・青・白のボールをタッチして帰って来ます)

団員の義務が、1.『稽古に出る』 2.『宿題をやる』 3.『自主稽古をする』

.『全員で稽古をする』と、ありますが、(実際にはもっとたくさんあります)

稽古日に用事があって休んだ場合、どのような答えがあるでしょう?

答えは2と3ですね。稽古を休んでも宿題をやることと自主稽古は出来ますから2と3が答えになります。しかし現実には用事で稽古を休むと全てのことを休んでしまいます。その場合、採点は×になります。

このように劇団さくらの稽古は常に考えることを主体に行っています。

良く考え、工夫して稽古を行うことで彼らは確実に能力を伸ばします。

多くの知的障害者に参加をして頂きたいと願っています。

本年も宜しくお願いします。

(2月12日の12時〜13時はどなたでもでも参加出来る稽古を行います。詳しくはお問い合わせ下さい)

稽古日誌2012

指導統括  石井 裕介